脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

No.226 青い海に消えた(1)

初秋の八海山
「初秋の八海山」 水彩 P15



 キヨちゃんは6年、僕は5年生になった。だからどうなったかって?別に何も変わったことはなかった。
4月になって校庭の桜が満開になって、海風の中に花びらを次々に散らしていた。紫色の花影には半透明の白い花びらが一面に敷き詰められていた。授業が終って校門からランドセルを背負って、僕たちはそれをそっと踏みしめて歩いた。風がそよいで雪のように花びらが散り落ちてくる。顔をあげると、町の瓦屋根の向こうに、青い海とその先の紫色の三浦半島が見える。
キヨちゃんが聞いた。
「潮は引いてるかな?」
「今日は早引けだからまだ大丈夫。アサリを掘ってみよう」
坂を下って鄙びた町の通りを横切って、笹薮の茂みの小道を抜けるとそこは海だった。
広い砂浜の上に小さな波紋を残して、海は遥か遠くまで引いていた。途中で拾った竹の棒で砂を掘ると砂利に混じって幾つかの小さいアサリが取れた。
僕が言った。
「ちっちゃいけど、明日はアサリ掘りしよう」
「え〜、それよりもっと面白いことないか?」
とキヨちゃん。
相変わらず母ちゃんの期待が大かったので、よくアサリ掘りをしたり地引網を手伝って魚をもらって帰った。でもアサリ取はあまり面白くない。
 最近は父ちゃんの会社の給料が支払われるようになって、母ちゃんはヒステリーは起こさなくなった。
キヨちゃんは言った。
「隣のクラスの白井がグラグラ橋でセイゴを釣ったぞ」
「へ〜、あれは引きが強いし跳ねるから面白いよな」
「うん、3匹だぞ!」
「俺セイゴは一度も釣ったことないよ」
「釣り方わかんね〜から、ヤッちゃんに教えてもらおう」
 翌日の土曜日学校でヤッちゃんを誘って、3人でグラグラ橋に行った。五月の暖かい日だった。
岩瀬川の河口を少し遡ると両岸が小高い台地になっている。ちょうどその辺りを内房線の赤い鉄橋が跨いでいる。川の両岸は木々が生い茂っていてグラグラ橋はその真下に木々に隠れて架かっていた。古材を寄せ集めて繋ぎ合わせた板を、両側の川岸に立てられた支柱で支えただけの欄干もない橋で、歩くたびに上下に揺れる。大人が上ですれ違うのは難しかった。鉄橋の手前の土手を降りて、下の密集した家の狭い路地を抜けて草付きの斜面を下ると橋のたもとに着く。
 ちゃんとした橋は河口と一キロほど上流に架かる2本だけでどちらも遠回りだから、ここは近所の知っている人だけがが使っていた。僕たちの秘密の通学路にもなっていた。
 学校の裏門近くの踏切から、線路を歩いてそのまま鉄橋を渡るのが一番近道だ。でもそこを通るのは学校で禁止されていた。鉄橋は思った以上に長く、枕木の間からずっと下に岩瀬川が見える。恐々と渡るので時間がかかる。ある日そこを渡っていると、後ろからいきなり汽笛が聞こえた。少し先で線路が大きくカーブしているから、すぐ近くまで気がつかない。
「いけねえ!」
慌てて向こう側に渡って土手下の草叢にころげこんだ。その横を激しく汽笛を鳴らしながら機関車が轟音を響かせて走り抜けて行った。
翌日学校に行くと、
「線路を通るなって注意したばかりなのに、またやった子がいる。誰だ!」
と厳しく詮索された。黙っていたけれど、クラスの連中は僕の方をチラチラ見ていた。
学校に通報が来たらしい。でも鉄橋がダメでも手前で土手下に降りればグラグラ橋があったから、僕はよくそこを渡っていた。

 午後に満潮になって、潮の臭いのする濁った水は川幅一杯に広がり逆流していた。
「錘は小さくして、ゴカイは針に引っ掛けて長くたらしておくんだ」
ヤッちゃんは、橋のたもとから釣り糸を川に投げ込んだ。僕とキヨちゃんも並んで竿を降り出した。












このページのトップへ

No.225 井上井月

真鶴漁港

「真鶴漁港」 水彩 P15



 井上井月については前にも2度書いた。時々句集を読む。種田山頭火や中村草田男の俳句に比較すると、平易な句が多い。
しかしそれが妙に魅力的なのだ。なんだろうと思う。
年賀状は毎年返信だけを出す。今年もその余白をどうして埋めようかと思いあぐねて、結局井上井月の句集をめくった。
そこから気に入った四句を拾った。

・たちそこね帰りおくれて行く燕
・あぶなげな富は願わず紙衾
・魚の寄る藻の下かげや雲の峰
・落ち栗の座を定めるや窪溜まり   井月

 第一句は物悲しく優しい眼差しを感じる。第二句はそのままの生活をしている井月の揺るぎない覚悟を思わせる。言葉だけで飾っているのではない。第三句は足元のささやかな美と雄大な美をこの少ない言葉で見事に対比させて魅力的だ。第四句はこの中に私自身を重ねて読んでいる。
 
 どの句も、生きている思いや実感をなんの衒いもなく表現している。そして寸分も違わぬ生き方をしている誠実さをここから感じる。それが井上井月に惹きつけられる理由だろう。





このページのトップへ

N0.224 奥多摩万緑

奥多摩万緑
「奥多摩万緑」 水彩 P!5




 奥多摩街道を上流に向かっていくと、沢井を過ぎて少し上り坂の杉の林の中に入る。奥多摩渓谷は谷が深く展望の開ける場所少ない。
 一昨年の7月ごろだった。そこを走ると杉が一面に伐採されて、明るくなり奥多摩渓谷が一望だった。真下の渓谷と対岸の民家や青い山々が見渡せる。伐採された狭い空き地に車を止めてこの絵を描いた。炎天下で日陰はなく足元から熱気が湧いて来る。まだ桧や杉の芳香が漂っている。見渡す限り濃い緑で埋まっていた。
 難しいと覚悟して夢中で描いた。色が思うようにならず筆数が多くなり、絵は次第に暗くなった。諦めて1時間半ほどで筆を置いた。やはりいい絵ににはならなかった。夏の緑は難しい。がっかりして帰路に旨い蕎麦を食べて気を取り直して帰宅した。
 それでも真夏の緑が好きで、昔から何度も描いている。熱中症もを2度経験している。緑だらけの真夏の光景はたまらなく魅力的だ。

「万緑を描きそこねて蕎麦喰ふ」  虚空

出来損ないのこの絵が好きでここに載せた。






 
 
このページのトップへ

No.223 僕のおじさん(5)

農道の秋
「農道の秋」 水彩 F6



 おじさんは囲碁が好きだった。私も子供の頃に父が教えてくれたので碁をやる。所沢に越して来てだいぶんたった頃、おじさんが仕事の帰りに我が家に立ち寄り、碁を打つた。それがきっかけで、土日には時々電話があって我が家で囲碁をした。そんなある金曜日に碁が打ちたくなって電話をした。
「この土日碁を打つ?」
「わしも打ちたいんじゃが、わざわざ昌彦の家に行くんじゃガソリンが勿体ない。立川のお風呂屋に仕事で行く時だけだ。わざにゃあ行かん。明日は暇じゃけえ昌彦が家に来るんなら打つぞ」
と言う。それで私がおじさんの家まで碁を打ちに出かけることになった。我が家は仕事のついでがある時だけだった。

 常日頃から商売はいいぞ!と言っていたおじさんは、二人の子供を結局商売人に仕立て上げた。上の女の子は薬学部を卒業して薬屋をしている。下の男の子は獣医学部で学んで動物病院の経営をしている。
 下の子は獣医学部を卒業してインターンが済むと間もなく、独立して動物病院を開業することになった。しかし東京でだから土地は高いし建物の費用もバカにならない。でもおじさんは息子になんとか開業をさせたいと思ったのだろう。考えた末に親戚に資金の援助を手紙で頼んだ。
私の父母がその手紙を読みながら話をしていた。
「頑張っているから偉いな。少し助けてあげにゃいかんな」
と投資信託を解約して援助したらしい。
 他の父の兄弟たちもそれぞれに援助をしたと言う。それで下の子はまだ若くして、独立して動物病院を経営することができた。
 おじさんの率直なお願いの手紙に、兄弟親族のかなりの人たちが協力しようと思ったのだった。

 我が家でのおじさんの評判はイマイチだった。特に私の母はあけすけなおじさんの言動や振る舞いを嫌っていた。姉ちゃんたちも広島帰省の列車事件のあおりで嫌がっていた。
でも私は昔からおじさんが好きだった。
正直で率直だった。自分を隠したり着飾ったりする様子は全くない。もちろん嘘はつかない。人に親切で、意地の悪いところが全くなかった。
「わしはべっぴんが好きじゃ」と公言して女学生だった叔母さんを嫁にして、生涯大事にしていた。そのおばさんもおっとりとして優しい素直な人だった。
 おじさんは10年ほど前に亡くなった。
5年ほど前に85歳を超えたおばさんと30年ぶりに私の個展会場で再会した。動物病院の従兄弟が車でおばさんを連れて来た。
 おばさんは上品で綺麗な老婦人になっていた。昔話に花が咲いて、おばさんが嫁に来るときのことを話してみた。するとその話はほとんど知らない様子だった。それに気づいて、私は遠慮してその話は少しだけにした。おばさんは楽しそうに
「ほっほっほ〜」、
と笑って聞いていた。
僕のおじさんは幸せな人だったなと思った。




このページのトップへ

No.222 僕のおじさん(4)

葉桜の頃
「葉桜の頃」 水彩 F6



 一家で東京に越して私は大学を出て就職をした。24歳の時に結婚をした。おじさんに仲人を頼んだ。新居は西武線の鷺宮駅近くの木造アパートだった。上石神井は近くだから、おじさんとはよく顔を合わせていた。時々呼ばれて夕食をご馳走になったりしていた。
 前後の記憶がないけれど、何かの機会におじさんと鷺宮の駅で落ち合った。
「コーヒーをご馳走するけえ、喫茶店に行こうや」
と言う。駅の踏切のすぐ近くに時々行く喫茶店がある。そこへ入った。ウエイトレスが注文を取りに来た。ホットコーヒーを二つ注文をした。コーヒーが運ばれて来て、ウエイトレスがステンレスのミルクポットを手に
「ミルクを入れますか?」
と聞いた。僕は入れないと断った。おじさんはミルクを入れると言う。ウエイトレスが注ごうとすると
「自分でやるけえ、それを置いといてくれ」
と言う。ウエイトレスは怪訝な顔をしてそれを置いて帰った。
 おじさんはコーヒーに砂糖をスプーン3杯入れてかき回した。そしてポットからなみなみとミルクを注いだ。それをカップに口を寄せて「ズズズ〜」と音を立てて飲んだ。半分ほど飲むとまた砂糖を入れてミルクを注いで飲んだ。結局大きなミルクポットはすっかり空になった。
「わしはこうするのが好きなんじゃ。ミルクはタダじゃけえ、飲まにゃあ損じゃ」
とニコニコと満足そうな顔をした。
私はその喫茶店にはその後足が遠くなった。

 また別の時だったか、これも前後はよく記憶していない。暑い盛りにおじさんの軽自動車の助手席に乗った。青梅街道を走っていたのだろう。路側に車を止めて
「アイスクリームを二つ、あそこの店で買うてこい」とお金をくれた。交通の激しい道だったから、急いで買って車に帰った。おじさんはすぐに車を走らせ、
「先に食べええ、わしのはそのダッシュボードに置いといてくれ」
と言う。
「溶けちゃうよ」
「ええんじゃ」
と言う。私はアイスクリームを先に食べた。食べ終わる頃に
「昌彦、わしのを蓋を開けて木の匙でかき回して見てくれ」
と言った。だいぶん柔らかくなって来ている。その様子を運転しながら見て
「もう少しじゃな」
と言う。しばらくしてもう一度かき回した。ドロドロに溶けていた。するとおじさんは
「ちょうど美味そうになった」と道端に車を止めてそれを美味そうにズズズ〜と吸い込んだ。
「いや〜、うまいもんじゃ。こうするのが大好きじゃ!」
とニコニコしていた。

 おじさんに仲人をしてもらったので、盆暮れにお中元とお歳暮を欠かさず送っていた。おじさんのところにはコーヒーセットを送っていた。何種類かのブランド銘柄の豆を挽いたものとクリープなどがセットになっている。お中元を送ってしばらくしておじさんから電話がきた。
「昌彦、いつもお中元やお歳暮をありがとう。いいコーヒー豆を送ってもらっているんじゃけえ、わしは安いインスタントの方が好きなんじゃ。勿体ないけえ、同じ値段のインスタントコーヒーのセットに変えて欲しいんじゃ」
おじさんはあっけらかんとそう言う。私はおかしくなって思わず笑ってしまった。それを家内に言うとやっぱり笑っていた。
 次のお歳暮からはインスタントコーヒーのセットにしたけれど、安いからずいぶんたくさんになったと家内は言っていた。







このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



<br /><BGSOUND SRC="http://blog-imgs-24.fc2.com/s/e/i/seifu/koi.mid" width=80 height=20 autostart=true repeat=true loop=true><br />
※このブログ内の文章及び画像の無断転載を禁止いたします。 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。