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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.231 皇女和宮の位牌

多福寺山門
「多福寺山門」 水彩 F6



 加治将一著「幕末 戦慄の絆」に皇女和宮にまつわる秘密が解き明かされている。
その謎解きの発端は、彼女が明治十年に箱根湯本の環翆楼で亡くなった時に、近くの山奥の阿弥陀寺で仮通夜密葬を行った時に作られた位牌であった。
 そこに書かれている戒名は「静寛院殿二品親王好誉和順貞恭大姉」だったという。この戒名がおかしいというのが発端になっている。その中の静寛院殿も、親王も男に用いるものだ。最後は大姉だからこれは正しい。この戒名から皇女和宮の死にまつわる手に汗を握る謎解きが始まる。
 これは加治将一ファンの私の一押しの推理小説である。ぜひ読んでみていただきたい。驚きの結末が待っている。

 友人二人で歴史研究会をやっている。六月の研究テーマはこの皇女和宮の謎だった。箱根湯本で一泊してで阿弥陀寺を訪れて、この位牌を見るのが目的だった。
 湯元から、車では登れないかと思うほどの細くて急峻な山道を登る。エンジンが唸り急カーブで後ろに転がるのではないかと心配になるほどの道だった。ようやく着いた狭い砂利の駐車場に車を止めて、そこからまた急坂を登ると、目の前に小さな古びた山寺が見えてきた。周囲は山また山の深い森に囲まれていた。
 本堂の中に入れてもらって和宮の仏前に焼香をしてお参りをした。そこで住職の薩摩琵琶演奏で和宮の悲しい歌を聞かせていただいた。薩摩琵琶を聞くのは何十年ぶりだろう。
残念な事に位牌は下の位牌安置所に仕舞われていて、見ることができなかった。

 しかし皇女で将軍正室の和宮が何でこんなに人里離れた山奥の寂しい寺で、仮通夜と密葬をすることになったのか?
そして死後一週間も遺体がここに留め置かれたのか?しかも九月二日の残暑の厳しい頃だ。
住職に聞くと、
「葬儀が神式か仏式かでまとまらなかったのが原因で、毎日富士の高嶺から雪を運んで腐敗を防いでいた」
という。しかしこれは加治将一ならずともおかしいと思う。

この先、興味ある方は是非加治将一著「幕末 旋律の絆」を是非お読みください。手に汗を握る面白さです。





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  • 2018/06/17(日) 19:08:35 |
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