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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.207 インパール作戦

梅雨の晴れ間
「梅雨の晴れ間」水彩F6


 8月にNHKスペシャルで「70年目の戦争と平和」という特集が放送された。私がたまたまスイッチを入れると731部隊の番組をやっていた。数千名の中国人捕虜を犠牲にして生物兵器の開発、実験をした映像記録や証言がそこにあった。敗戦後その実験データーを米国引き渡すことによって、主な指導者たちは免罪され、彼らはその後の日本の医学会の中心的役割を担う。
 NHKの番組としては真相まで迫る画期的な番組だった。私が見たのはこれだけだったが、この特集のシリーズは衝撃的で話題になっていた。NHK社会部の意地と見識の高さを示したものと思った。

 後日、馴染みの中華屋にラーメンを食べに行ったが、その主人がNHKのインパール作戦を見たという。
主人曰く
「辻政信はあんな無謀な作戦を強制して、飢えとマラリアで3万人近い兵士を死に追いやったんだ。敗戦後海外に逃亡して30年後に帰国してのうのうと余生を送った。ひでえやつだ!」
と怒っていた。
 私もインパール作戦に関する本は何冊も読んでいたので、その主人の怒りは当然だと思った。

 帰宅して早速インパール作戦を調べて見た。するとあの無謀な作戦を命令したのは辻政信ではなく、ビルマ方面軍の牟田口廉也だった。インパール作戦の書籍を読んだのは20年以上前なので忘れていた。中華屋の主人も間違えていたのだ。
 柳条湖事件、盧溝橋事件、仏印作戦、インパール作戦などを改めて調べて見た。軍部の暴走と言われるこれらの中心で活躍した石原莞爾、牟田口廉也、辻政信、についてなかなか面白いことがわかった。

・石原莞爾:関東軍作戦参謀、陸軍中将(最終)帝国陸軍の異端児と言われて、満州事変の中心人物だった。
・牟田口廉也:陸軍参謀から現地司令官、柳条湖事件の連隊長で独断で反撃命令を出した人物。
・辻政信:陸軍参謀、ビルマ作戦、ガダルカナル作戦などを指揮。天才と言われ独断指揮をするので知られていた。

 この三人には奇妙な共通項があった。陸軍参謀出身のエリート、独断指揮をする異端児で満州事変の中心人物。将官にまで特進する。そして多くの将兵を殺しながら敗戦後も生き延びて、戦犯に問われなかったことだ。

 つまり満州事変から日中戦争の中心で暴走したと言われた人物達だ。柳条湖事件では牟田口中佐は政府の戦争不拡大の方針に逆らって独断で反撃して戦火が拡大するきっかけを作った。その責任を問われて田中義一内閣は総辞職をしている。

 しかしなんだか変だ。軍隊は厳しい階級社会であり、上官の命令に逆らって現地で独断指揮できるものだろうか?
ましてや、皇居の地下にある大本営の作戦本部で昭和天皇が、細部に渡り作戦指揮をしていたという証言がいくつもある。天皇や大本営の命令は絶対であった時代だ。

 前にも書いたが2.16の青年将校達の決起趣意書はこれまで聞かされていたこととは正反対で、「無謀な戦争は止めろ」という趣旨であったという。それを強硬に弾圧して銃殺刑に処したのは昭和天皇だった。太田龍や鬼塚英昭の著書にその経緯が詳しく書かれている。

 この3人の背後に昭和天皇の指示があったのではないか?そう考えると辻褄がよく合う。多くの将兵を犠牲にしても天皇の命令ならば、責任を感じない。また敗戦後戦争責任を免れたのも納得できる。

インパール作戦の生還した将兵の手記を読むと、その作戦の無謀さ、悲惨さがよくわかる。日本国の闇がそこにある。







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脇 昌彦

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