
「五日市の民家」F6水彩
伊那谷の駒ヶ根で、井上井月を初めて知ったのは十年ほど前だったろうか?その経緯は一度書いた。
何故か放浪の詩人は人を惹きつける。同じような俳人は他にもいる。種田山頭火、尾崎放哉などもそうだ。彼らにまた多くの人達が魅せられる。独特の漫画を描くつげ義春もその一人という。「無能の人」という作品の中でそれを書いている。
現世の名利やしがらみを全て捨てて放浪をし、身一つだけの衣食を人の喜捨に依存する。そして我が身の五感に触れる純粋で素朴な実感だけを味わい生きていく。
人が生きるということを突き詰めていくと、結局そうなってしまうのだろう。俳句は極限まで凝縮された詩で、それが彼ら放浪の詩人にふさわしい。
井上井月は伊那谷の路傍で行き倒れたところを発見された。66歳だったという。
ロシア人のアルセーニェフの「ウスリー探検記」の中に、原住民の猟師デルス・ウザーラが描かれている。森の自然を全て知り尽くして、シベリヤの厳しい原生林で生涯を単独で猟をして生きている。雪の上の足跡を見て何がいつ頃どの方向へ歩いて行ったかを瞬時に嗅ぎ分け、わずかな気配で天候の急変を予知できる。このデルス・ウザーラの案内でロシアは長期にわたるウスリー地方の探検、調査をする。
晩年に肉体の衰えで猟ができなくなったデルス・ウザーラに、アルセーニェフは街での保証された生活を提供をする。しかし彼はそれを断り厳寒のウスリーの森に一人で帰って行く。やがて雪に埋もれて発見される。
この人たちの生き様は、現世の名利やしがらみの中であくせくと生きる人たちに、人が生きるという単純な原点を思い起こさせるのかもしれない。人も所詮は単純な生き物なんだよと。
・降るとまで 人には見せて 花曇り
・落栗の 座を定めるや 窪溜り
・何処やらに 鶴の声きく かすみかな 井上井月
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