FC2ブログ

脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.178 生物(なまもの)

公園炎暑「公園炎暑」F6 水彩


 むかし思い悩んだ頃に、何冊かの原始仏典の対訳を図書館で借りて読んだ。それが何だったかもう記憶にないが、このときの驚きは今も鮮明に記憶している。不確かな記憶を便りに書く。
 初期の仏教教団内は人種身分男女の差別が全くない。そして強制がなく真実を求めて自由に討論し合っていたという。釈迦も同じ修行者であったらしい。
 人間とは何か?それを知る為に釈迦は弟子とともに死体置き場で座禅する。昨日までいきいきと目を輝かせていた人が、あっという間に死んでしまう。死体が放置される。野犬が群がり、腐乱し、蛆が湧き、やがて乾涸び白骨になる。それを長期間座禅してじっと凝視している。その真実を追究するすざましい執念とリアリズムに驚く。
 坊さんは袈裟を着る。その袈裟とは梵語で「壊色・混濁色」を意味するカシャーヤ(Kasaya)を音訳したものだと言う。つまり死体をくるんで血と膿で赤く汚れた布のことだ。その布を集めて、洗って継ぎ接ぎして作ったのが袈裟である。
 平安時代の何と言う絵巻だったか記憶していないが、死んだ美しい姫君の変わり果てて白骨になるまでの姿を克明に描いたものが有った。この絵師はこの仏典を読んでいたのかもしれない。

また人のことをこういっている。
「のべつに水を飲み、食べている。そして年中汗を流しよだれを垂らし、小便をし、糞をする」
又こうも言う。
「人は燃える炎のようなものだ。風でゆらゆらと動き捕まえどころがなく、不確かだ。薪をくべると燃え上がり除けばすぐに消える。しかし触ると火傷をする。有るようで無い。無いようで有る不確かなもの」
それが人間の命だという。
 
 詳細は皆忘れて正確ではないけれど、おおよそそんなことが原始仏典には判り易く書かれていた。これに私は真実感銘した。カビ臭い訳の判らないお経の中に、こんなことが書かれているとは!! 
2.500年も前にはかない人の生の存在をじっと見つめ、真実を追究している人達がいたのだ。

 人は生物である。「なまもの」なのだ。蓄えられない。年齢にふさわしい喜怒哀楽も貯めておけない。冨を蓄えるまで我慢して、それからじっくり味わおうとしても、その時には皆変わり果てて腐っている。しかも度が過ぎた冨の蓄積は周囲から恨まれ、妬まれる。周囲の人を不幸にして犯罪的だ。
 バス一台に乗った世界の超富豪の所有する冨が、世界の富の50%を占めるという。これが真実ならば狂っているとしか言いようがない。

お金にも有効期限を付けて腐ってしまうようにすれば良い。お金も人と同じ「なまもの」にしてしまおう。







スポンサーサイト
このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



<br /><BGSOUND SRC="http://blog-imgs-24.fc2.com/s/e/i/seifu/koi.mid" width=80 height=20 autostart=true repeat=true loop=true><br />
※このブログ内の文章及び画像の無断転載を禁止いたします。 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する