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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.171 安曇野の不思議

初夏の有明山麓「初夏の有明山麓」P15 水彩


 残雪が光り新緑の美しい初夏の頃は、毎年信州に絵を描きに行く。昨年は伊那谷に行ったので、今年は安曇野の穂高温泉郷付近にバスで15人程を連れて出かけた。ここは随分前から何度も足を運び良く知っているのだが、それでも事前の現地のスケッチポイント調べは欠かせない。歴史も必ず調べる。今回は安曇野と言う地名の由来が気になっていたので、それをまず検索してみた。
 前に私が通っていた当時は安曇郡穂高町だったが、今は町村合併で安曇野市になっている。しかし北アルプス一帯は昔の侭の安曇郡になっている。古代に安曇氏と言う豪族がおりそれにちなんだ地名と言う。
 標高3190mの奥穂高岳山頂には穂高神社が有り、そこに綿津見命が祭られていて、これが安曇氏の氏神であると言う。9月27日の例大祭の御船神事では船形の山車を曳いて祝うと言う。
 
 う〜ん北アルプスのてっぺんで船形の山車を曳く、それは何だ?と思った。はて安曇氏とは何だろう?
 
 調べてみると大本は北九州福岡の志賀島を本拠にする古代倭の国の豪族であった。この志賀島は何と「漢の倭の奴の国王」の金印の出土したところだ。この辺りには今も安曇郷と言う地名が残っている。つまり「魏志倭人伝」に書かれている奴国らしい。この地に伊都国や邪馬壱国(邪馬台国)があった。
 安曇とは海人津見が転訛したもので海に住む人と言う意味で海神とも書く。海の神である。戦没学生の遺書を集めた文集は「きけわだつみの声」であるが、わだつみは戦没者を指すらしい。大君の為に死して神になったということだろう。
「魏志倭人伝」には、「4000余戸が有り、山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。 倭の漁師も好んで水にもぐって魚や蛤を捕り、身体に入墨をして大魚や水禽を避けていた。」と書かれている。海に住む人である。それは正に安曇族である。
 記紀の神武東征の時に、その倭国連合が瀬戸内海を東に下り奈良に上陸して、多くの豪族を従えて大和朝廷を建国したらしい。その中の有力豪族の安曇族は、その後全国にその足跡を残したと言う。その一族の本拠地が今もこの信濃国の安曇郡であるという。
 斉明天皇の時の663年、将軍安曇比羅夫は百済再興のため水軍170隻を率いて韓国に出兵して、白村江で新羅・唐連合軍と戦い大敗北をして戦死。その命日は9月27日。この日が穂高神社の例大祭の日だ。
 その後の壬申の乱で天智天皇を倒して、天皇になった天武天皇の即位前の名は大海人皇子である。
安曇野は奥が深い。山奥なのに深く海と関わっている。

 その安曇野の穂高温泉郷の付近にバスを止めて皆でスケッチをした。
眼前に有明山が聳えて北に残雪の鹿島槍や白馬が遥かに見渡せ、水田には早苗が光って美しい。そこに色鮮やかな鯉のぼりが薫風になびいている。すぐ近くに木立に囲まれた気持ちのよい庭園が有った。
鯉のぼりを上げている家の方がオーナーで、親切にバスの駐車場を提供してくださり、その庭園も休憩場所にどうぞと言う。その庭園の木陰で絵の合評会をした。
 私はその庭園の中から目の前に聳える有明山と水田を描いた。




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脇 昌彦

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水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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