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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.166 自然であること

雲取山鷹巣山と雲取山(小手指が原より)


 DVDを借りに行って、ふと目に止まった「誰も知らない」という映画を見た。2004年カンヌ映画祭で受賞した是枝裕和監督の作品である。母親に置き去りにされた5人の兄弟の悲惨な生活を主題にした作品であった。町の風景も生活の細部も身近な埃臭い現実を取り込んで、子供達や母親、周囲の人々も実に自然に描かれていた。 兄弟の日常化した不幸は、淡々と進行して幼い弟の死とその死体の埋葬の結末を迎える。生活の細部がドキュメンタリーのようにリアルで、それが現在進行形の現実であるかのように思えて、私はいたたまれなくなり最初の10分程で見るのを止めてしまった。しばらくして気を取り直してまた見直した。
 主演男優賞の柳原裕也君はむろんだけれど、下の4人の幼い兄弟達の演技の自然さに驚きを禁じ得なかった。これは是枝監督の非凡さの証であると思う。久しぶりに見た良い映画だった。何十万人の観客の目にさらされると知りつつ、カメラの前で自然に演技するのは極めて難しい。ましてやこの作品の主人公は子供達である。
 演技をしていると判ると観客は白けてしまう。スナップ写真でも人は意識してしまう。小津安二郎監督は感情表現、演技を極力抑制した作風で、私はそれが好きで多くの作品を見た。台湾の小津といわれる候孝賢監督の「珈琲時光」という作品も気に入って、DVDを買った。
 しかし、この「誰も知らない」を見て改めて小津作品に気づいたことがある。感情表現や演技を抑制していると見ている人が判ってしまうことだ。
「七人の侍」は小津作品の対極にあるとも言える。しかしあの舞台とストーリーには、あれがリアルで自然な演技、演出なのだろう。やはり世界一の名画だと思う。
 ドキュメンタリーはもっと難しい。なにしろ「作り物ではないという作り物」なのだから。「スタッフを10人連れて、一人旅」という川柳があった。言い得て妙である。「すみません。もっと自然にくつろいでそこを歩いて下さい!」などと注文を受けて演技するのだ。現実とヤラセの境は曖昧模糊として、いつの間にか演技を強いられてしまう。時折テレビのヤラセが問題になる。いっそドラマにしてしまった方がすっきりする。

 絵を描くのも同じだ。無理して技術や技をひけらかすのは論外である。作者の個性を強調するのも下品だと思う。ただ自然に描く。誰が描いたかはどうでも良いことだ。見る人がその絵に見惚れてしまう、というだけで良いのだと思う。それは至難の業であるけれど。



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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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