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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.165 私の谷川岳

甲斐駒冠雪「甲斐駒冠雪」F6  水彩



 日航機墜落事故の経緯を調べていると、その事故を扱った「クライマーズ・ハイ」という映画の紹介があった。さっそく近くのTUTAYAでDVDを借りて全編を見たが、良い映画であった。地元群馬の地方新聞社の過酷な取材に振り回される記者を主人公にした、緊張感溢れる映画であった。あの日航機の惨事は無論のこと、戦場のような取材現場とその中で戦う男達の凄まじい葛藤が生き生きと描かれていた。主人公が社の同僚と待ち合わせて、一の倉沢の登山に行くその日に日航機事故があり、同僚との約束のを心ならずすっぽかす。その同僚はその晩に過酷な仕事の疲れから蜘蛛膜下出血で倒れてしまう。10数年後にその亡くなった同僚の息子と一の倉沢衝立岩に登る。そのロッククライミングシーンと、過酷な日航機事故の取材の追想を織り交ぜてその映画は進行する。
 私は一の倉沢のクライミングシーンに異様な感動を覚え胸が震えた。私にとっても多くの思い出のある岸壁だったからだ。
 昭和35年に衝立岩でクライマーが遭難し宙吊りになった。新聞は連日このニュースで埋まっていた。救助隊が救出に向かったが数百メートルの絶壁に手も足もでないまま、遭難者の死亡が確認された。自衛隊の部隊が出動してザイルを銃撃して遺体は漸く収容された。私はその時にこの魔の山谷川岳の存在を初めて知った。
 最初にそこへ行ったのは大学の4年の時だった。5人の仲間とマチガ沢から一の倉沢に行った。その壮絶な岸壁とそこに張り付いているクライマーを下から双眼鏡で見て、心底から感動を覚えた。その後一人で何度もそこを訪れるようになった。数えてはいないが10回以上は通っている。私を引きつけたのは岸壁は無論であったが、クライマー達が遥か頭上で宙づりになっている様子や、戦い疲れて出会いの沢沿いに泥まみれになって寝込んでいる姿であった。
 その頃の私は八方塞がりで悩み多い時期であった。会社を退職し何もかも投げ出したい衝動に駆られていた。そんな時にこの岸壁に無性に行きたくなった。ある5月の土曜日にも突然思い立って、関越を北に向かい車を走らせた。やがて青空に光る真っ白な連邦を見て思わず涙を抑えきれなかった。そしてあの一の倉沢の岸壁を見上げていると、ちっぽけな自分がしみじみと体感できて、なぜかいつも救われる思いがした。
 その頃中公新書「谷川岳」瓜生卓造著を読んで、その谷川岳の遭難の歴史を詳しく知った。大都会東京から数時間の近さで、しかもその岸壁の急峻さは日本有数であって、しかも国境の山故に天候の変動が激しい。谷川岳の遭難者は600人近くで、一つの山での遭難者は世界一であった。その登山と遭難の歴史がこの本は詳細に記されていた。そこに一の倉沢の岸壁の詳細図があり、それを私は何度も見て記憶して、そして双眼鏡を購入して一の倉沢の出会いに通った。滝沢、衝立岩、コップ状岸壁もすぐに見分けられた。衝立岩基部まで登った事もある。そこから岸壁を見上げると頭の上に被いかぶさるようで、その凄まじい圧迫感に耐えられずに早々に降りてしまった。
 その私が想像するしかなかった衝立岩のロッククライミングを図らずも「クライマーズ・ハイ」の映像は見事に疑似体験させてくれた。そしてあの頃の多くの悩みが胸に溢れ出てきて、数十年ぶりの涙がこみ上げてきた。
 谷川岳の絵は何度も描いたが、良い絵は一枚も描けていない。やむなく甲斐駒ケ岳を冒頭に掲げた。




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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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