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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

N0.152 世界は金貸しに騙されている

 金貸し業の歴史を調べてみた。貨幣が出来ると間もなく金貸し業は始まったらしい。初期の時代からからそれは卑しい商売として扱われていたという。以下にウイキペディアの内容を一部要約して転載した。

「金貸しは必然的に自然発生した職業であるが、古代から金貸しは反道徳的行為と見なされており、バラモン教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの経典では利息をとる金貸しを批判しているほか、古代中国から古代ギリシャにかけての多くの国家で金貸しは禁止されていた。
ヘブライ語聖書ではユダヤ人への金貸しは奉仕であるべきで無利子と定められていたが、他の人種へは有利子が認められていた。
古代ギリシャや古代ローマのほとんどの哲学者達は金貸しを否定的にとらえていた。
紀元前の共和政ローマの時代には、いかなる利息での金貸しも禁止されていたが、帝政ローマの時代になり規制された利息での金貸しが認められるようになった。金貸しは、殆どが裕福な個人により行なわれており、銀行のような金融業は存在しなかった。当時の利率は年率4–12%、高利の場合は24-48%であった。
帝政ローマ期にキリスト教が普及すると、古代ギリシャや古代ローマの哲学や倫理学に基づく金貸しに対する認識は宗教的なものに置き換わった。
 キリスト教の紀元325年の第1ニカイア公会議において金貸しは神の恩寵(サクラメント)もキリスト教に基づく埋葬も許されない(破門)と定めた。結果としてユダヤ人に金貸しを職業とする者が増えていった。
 7世紀に誕生したイスラム社会ではコーランにおいて全ての金貸しが禁じられている。
中世ヨーロッパにおいてもカトリック教会は利息を取る金貸しを禁止していた。11世紀から13世紀の神学者はそれまで道徳上悪であると見なされていた金貸しを論理的に何故悪いのかを証明しようとした。金貸しは禁止されていた一方で投資は許容されていた。金貸しと投資の違いは、投資は投資先の事業に参加するわけで資金の回収はその事業の結果によるが、金貸しはその意味でのリスクは負わない。
 13世紀のイタリアの神学者トマス・アクィナスは、アリストテレスのニコマコス倫理学に基づき、貨幣は内在的価値を持たないので、それを貸すことにより利益を得てはならない定めた。この思想はトマス主義としてドミニコ会に受け入れられ、16世紀にはイエズス会(サラマンカ学派)に引き継がれた。このトマス主義ではお金を貸すことにリスクが伴うか、貸すことにより逸失利益が生じる場合は利息を取ることを容認していた為、利息の禁止を厳密に運用することが困難であった。17世紀にはプロテスタント各国で徐々に緩和され最終的には撤廃された。
16-17世紀にはカトリック教会の影響力が衰え、各国が絶対王政を確立した。それらの国では国力を競い重商主義を掲げ国富増大に邁進した。それに伴い経済活動も拡大し富の集中が加速され、持つ者と持たざる者の格差が広がった。続く18世紀以降の産業革命では、それまでの地域社会での需給の均衡を大きく凌ぐ生産性の向上が見られ、資本主義が台頭した。この時期になると様々な経済学者により資本や金融に関しての研究が始まり、金貸しについてもそれまでの宗教的・道徳的概念は否定されるようになった。」

 貨幣が生まれて以来長い歴史の間人類は金貸しを卑しい職業として蔑み、つい最近まで世界の多くの宗教でこれを禁じていたのだ。しかし17世紀以降の重商主義や資本主義、産業革命の進展にともなって、金貸しは近代的な金融業として急速に発展して公認された。この時代から蓄積した財とノウハウを持ったロスチャイルドに代表されるユダヤ金貸し業が急速に普及し台頭していった。その結果今の世界の巨大な金融業や企業、政治の大部分は彼らの支配下に置かれてしまった。
 彼らはお金と権力を手に入れるのに手段を選ばない。詐欺のような金融商品を売り、巨額の資金で市場操作しインサイダー取引をして、大儲けをする。戦争を煽り敵味方の両方に融資をして、その上兵器を売って戦争後の復興事業でさらに儲けている。いわゆるマッチポンプである。

 銀行は貧乏人には高利で融資をする一方で、大企業や裕福な人には低金利で融資をしている。不動産を持っている人にはそれを担保に融資をするが、担保のない貧乏人には融資はしない。
 例えば、親から遺産10億円をもらったとする。年利5%で銀行に預金をすると年間¥5.000万円の収入がある。そのうちの¥1.000万を生活費に使い、残った¥4.000万円を預金しておくとする。結局年4%の福利だから10年後にその預金は14.8億円に増えている計算だ。つまり10年間全く働かずに贅沢な暮らしをしても、預金はこんなに増えていく。この銀行制度はおかしくないか? 自由競争というが、大資産家と裸一貫の人が自由競争すればどうなるか、子供でもわかることだ。
 この富の極端すぎる偏在を税制で再配分するのは国家の最も重要な役割である。最近の国家はそれを放棄してユダヤの禿鷹のような金融業者や大企業にあらゆるものを委ねようとしている。これは国家秩序の破滅への道である。
思い出してほしい。「経済」の語源は「経世済民」だという。ウィキペディアを引くと以下である。
 
「經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)とは、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。
略して「經濟」(経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の用法とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。」


 政治家や経済界の要人、経済学者はもう一度この経済という言葉の本来の意味を心して噛み締めるべきだろう。
 今だって世間では「あいつは金貸しだ」というのは卑しいという意味に使われる。しかし同じ金貸しの銀行が大手を振って今の世を闊歩しているのは変ではないか?高金利のサラ金は大手銀行の高収益源であるという。
 ちなみに、つい最近イスラム国のイスラム銀行は利息をとらずに運営されているのを知った。高利の金融によって国の富を食い荒らされる事態を防ぐためと、コーランの教えを守るという目的で設立され、イスラム国で次第に成長をしている銀行であった。融資を受けて立ち上げた事業で利益を上げると、それを銀行と定められた比率で分配する。損失も双方が負担するという。そして利子はない。機械設備を銀行が購入してそれを事業者に手数料を加算してリースして、その支払いが済むと所有権は事業者に移転するやり方もあるという。
 ユダヤ支配の西欧諸国が繰り返しイスラム国家を攻撃するのは、この無利子金融機関が目障りなのかもしれない。

 最初に富を獲得して強者になったものが、際限なく巨大な資産を蓄えていくのを何処かで歯止めをかけなければいけない。そのために利子を禁止するのは良い方法である。もう一つの方法はお金に利子を付けるのではなく毎年減価するようなものにすることだ。5%ぐらいがよいだろう。すると巨額のお金の蓄積はできないから、お金は市場に出回り循環する。

 いずれにしても富を必要以上にむさぼってはいけない。際限のない欲望は犯罪である。金貸しは恥ずかしいと思うのが健全な社会なのだろう。国際金融マフィアともいわれる金儲けのために手段を選ばない人々を排除しなければ、この世界に未来はないと思う。それを切に願うこのごろである。



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脇 昌彦

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