脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.210 瀬織津姫

秋の民家
「山村晩夏」水彩 F4


 入間市に元狭山神社という小さい古びた神社がある。近所の自動車修理工場の主人の話すには「そこに駒形姫が祀られています」という。これは初耳だった。
 翌日その神社を探した。古びた小さな神社だった。参道は工事中で砂利引きの工事の最中だった。仕方なく鳥居を迂回して本殿をお参りした。
 扁額に祭神が書かれている。15の神が祀られていた。筆頭は駒形神だった。女神は奇稲田姫、豊玉姫、菊理姫神、伊邪那美尊、木花咲耶姫命の6神で、駒形姫なる神はなかった。
 しかし自宅で調べて見ると、駒形神とは瀬織津姫だというブログを見つけた。瀬織津姫なるものは初耳だった。それを調べると、神道の汚れを清める大祓えの祓戸大神の筆頭の神が瀬織津姫の神だという。これには驚いた。
 しかも日本中の由緒ある大社には必ず祀ってあるという。伊勢神宮、宇佐神宮、出雲大社、那智大社、春日大社、宗像大社、住吉大社、厳島神社、愛宕神社などの錚々たる大社である。
 不思議なことはそんな重要な神が全く知られていないことだった。しかも奇稲田姫と菊理姫も瀬織津姫と同一だという説もある。観音様もそうらしい。

 大和朝廷が成立する前の古代の日本には王国があり、古来からの縄文人の神々が敬われていた。その最高神が瀬織津姫であったらしい。そして征服王朝の大和政権はその瀬織津姫を隠蔽してしまったという。しかし多くの人たちは名前を隠して密かに1500年もの間尊崇し続けているというのだ。
 もう一つ面白い説は、七夕伝説の織姫も瀬織津姫だという。大和政権に引き裂かれて、年に一度密かにデートするのだという。

 修理工場の主人の噂を耳にしてここまでたどり着くのに随分と時間がかかった。
この元狭山神社は近郷にある三つの村の神社が70年前に合祀され、元狭山神社となったという。それで境内の整備をしていると、そこにいた宮司と思しき人が話してくれた。

 帰ろうとして、鳥居脇の大きな見上げるばかりの石碑に目が止まった。深々と文字が刻まれている。何と書いてあったか記憶に残っていない。しかし左下に「松方正義書」とあった。う〜!と目を疑った。明治の元勲の一人で日本銀行の創立者、内閣総理大臣のあの松方正義だろうか?この片田舎の小さな神社にどういう経緯で揮毫をしたのだろうか?調べてみたけれど、何もわからない。本人かどうかも謎である。

 最近縄文時代の見直しがあって、脚光を浴びている。世界最古の文明かもしれないというのだ。そして縄文の信仰を集めたという瀬織津姫にもスポットライトが当たってきているらしい。









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No.209 八ヶ岳

赤岳展望 
「初秋の赤岳」水彩 P15



 八ヶ岳を何度描きに来たか?すぐには思い出せないほど通っている。一番初めは日水会評議委員をされていた加藤隆介先生とスケッチに来たのが最初だった。野辺山の高原野菜畑で描いた。絵を始めたばかりでほとんど描けなかった記憶がある。
 その後随分と足を運んでいる。日野春、滝沢牧場、原村、尖石遺跡付近、風除け公園、御射鹿池、麦草峠、稲子湯など。初期の作品は4号の淡彩スケッチと6号の雪の編笠岳の2枚だけで、両方ともに東側で描いたもの。その後西の山麓の方が良いと気付いて通い出した。だから西山麓から描いた絵はかなり残っている。

 大分以前に絵仲間の所有する山麓の別荘に招かれて描きに来た。翌日の帰り頃に八ヶ岳を一望できる場所に車で案内された。大展望に感激した。多分この平沢峠だったと思う。絵を描く時間はなかったから、眺めるだけだった。
 
 その後その場所を車で探したけれど、結局見つけられずにいた。最近になってインターネットで検索してこの平沢峠をようやく探し当てた。
 そしてこの9月21日に主催する木曜スケッチ会でバスで絵を描きに来た。総勢18名であった。朝から申し分のない好天で、雄大な八ヶ岳連峰が裾野から頂上まで一望に見渡せる。見事な光景だった。観光バスやマイカーで観光客が大勢来ていた。
 絵にするには難しかったけれど、一期一会、出たとこ勝負で描くしかない。苦労してようやく仕上げた。絵が暗くなった。
 
 ここに来る途中の須玉から清里に登る途中で、絵になる光景をバスの窓から見つけた。今度描きに来ようと思う。




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No.208 朝飯前

花茗荷
「ジンジャーの花」水彩F6



 9月になって涼風が吹く頃になると、小手指原の砂川遺跡公園近くにジンジャーが群れ咲く。早朝に散歩に来ると、その上品な芳香が辺り一面に漂っている。真っ白な清楚な花だ。
 この花はここへ来て初めて知った。ショウガの仲間で和名はハナシュクシャ(花縮砂)というらしい。高さ1.5~2メートルになって、葉はカンナに似ている。東アジア原産の花だという。一株別けて貰ったジンジャーが家の玄関先に咲いている。朝ドアーを開けるといい香りがする。

 ある日の朝、思いついてスケッチブックを持ってジンジャーを描きに行った。人気のない静かな砂川遺跡公園の中で芳香に包まれて2時間ほどで描いた。帰ってから朝食を食べた。
この絵は朝飯前に描いた絵だった。






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No.207 インパール作戦

梅雨の晴れ間
「梅雨の晴れ間」水彩F6


 8月にNHKスペシャルで「70年目の戦争と平和」という特集が放送された。私がたまたまスイッチを入れると731部隊の番組をやっていた。数千名の中国人捕虜を犠牲にして生物兵器の開発、実験をした映像記録や証言がそこにあった。敗戦後その実験データーを米国引き渡すことによって、主な指導者たちは免罪され、彼らはその後の日本の医学会の中心的役割を担う。
 NHKの番組としては真相まで迫る画期的な番組だった。私が見たのはこれだけだったが、この特集のシリーズは衝撃的で話題になっていた。NHK社会部の意地と見識の高さを示したものと思った。

 後日、馴染みの中華屋にラーメンを食べに行ったが、その主人がNHKのインパール作戦を見たという。
主人曰く
「辻政信はあんな無謀な作戦を強制して、飢えとマラリアで3万人近い兵士を死に追いやったんだ。敗戦後海外に逃亡して30年後に帰国してのうのうと余生を送った。ひでえやつだ!」
と怒っていた。
 私もインパール作戦に関する本は何冊も読んでいたので、その主人の怒りは当然だと思った。

 帰宅して早速インパール作戦を調べて見た。するとあの無謀な作戦を命令したのは辻政信ではなく、ビルマ方面軍の牟田口廉也だった。インパール作戦の書籍を読んだのは20年以上前なので忘れていた。中華屋の主人も間違えていたのだ。
 柳条湖事件、盧溝橋事件、仏印作戦、インパール作戦などを改めて調べて見た。軍部の暴走と言われるこれらの中心で活躍した石原莞爾、牟田口廉也、辻政信、についてなかなか面白いことがわかった。

・石原莞爾:関東軍作戦参謀、陸軍中将(最終)帝国陸軍の異端児と言われて、満州事変の中心人物だった。
・牟田口廉也:陸軍参謀から現地司令官、柳条湖事件の連隊長で独断で反撃命令を出した人物。
・辻政信:陸軍参謀、ビルマ作戦、ガダルカナル作戦などを指揮。天才と言われ独断指揮をするので知られていた。

 この三人には奇妙な共通項があった。陸軍参謀出身のエリート、独断指揮をする異端児で満州事変の中心人物。将官にまで特進する。そして多くの将兵を殺しながら敗戦後も生き延びて、戦犯に問われなかったことだ。

 つまり満州事変から日中戦争の中心で暴走したと言われた人物達だ。柳条湖事件では牟田口中佐は政府の戦争不拡大の方針に逆らって独断で反撃して戦火が拡大するきっかけを作った。その責任を問われて田中義一内閣は総辞職をしている。

 しかしなんだか変だ。軍隊は厳しい階級社会であり、上官の命令に逆らって現地で独断指揮できるものだろうか?
ましてや、皇居の地下にある大本営の作戦本部で昭和天皇が、細部に渡り作戦指揮をしていたという証言がいくつもある。天皇や大本営の命令は絶対であった時代だ。

 前にも書いたが2.16の青年将校達の決起趣意書はこれまで聞かされていたこととは正反対で、「無謀な戦争は止めろ」という趣旨であったという。それを強硬に弾圧して銃殺刑に処したのは昭和天皇だった。太田龍や鬼塚英昭の著書にその経緯が詳しく書かれている。

 この3人の背後に昭和天皇の指示があったのではないか?そう考えると辻褄がよく合う。多くの将兵を犠牲にしても天皇の命令ならば、責任を感じない。また敗戦後戦争責任を免れたのも納得できる。

インパール作戦の生還した将兵の手記を読むと、その作戦の無謀さ、悲惨さがよくわかる。日本国の闇がそこにある。







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No.206 佐久の鯉料理

浅間山
「浅間山」水彩F6


 浅間山は何度も描きに来たが、初めの頃は良いポイントがなかなか見つからなかった。絵仲間と山麓を車で一周したが結局無駄足だった。その後だいぶ経過して、15年前にようやく良い場所を見つけた。この絵はそこで描いた。

 浅間山を見ると必ず鯉料理を連想する。40年ほど前に出張で山麓にある御代田町の関連会社に来た。その時に生まれて初めて鯉料理をご馳走になった。海育ちだったから鮎や鯉、泥鰌は食べたことがなかったし、食べるという習慣もなかった。初めて口にする鯉の洗い、鯉こく、甘露煮は美味だった。脳裏に焼き付いてる。しかしその後40年間、食べる機会は全くなかった。
 久しぶりにこの絵を見て、昔の美味しかった鯉料理を思い出した。今度こそは食べに行こう。





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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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