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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.199 成木川

川沿いの部落
                 「川沿いの部落」水彩F6



 多摩川を羽田空港から遡ると川崎の工業地帯を通って、大田区や世田谷区、羽村の住宅街を抜け青梅市の付近から緑なす奥多摩の山間部に入って行く。青梅市は奥多摩の玄関口だ。
 奥多摩は険しい緑なす山襞が幾重にも重なり、そこに多摩川が深い渓谷を刻んでいる。最奥部は小河内ダムとその奥の標高2.000mの雲取山に至る。ここが大都会東京都の一部というのが嘘のようだ。ここは観光地になっていて、多くの人が自然を求めて訪れる。
 この青梅を過ぎて軍畑までに来ると北側に高水三山が聳えている。高水山、惣岳山、岩茸石山といい、初心者のハイキングコースになっている。その高水山を北側に越えて下ると、成木川という小さな流れがある。最奥部の水源は埼玉県の県境にある黒山の麓にある。そこから流れ出た成木川は奥深い山間部を静かに流れ下って行く。川沿いの道路は新道になっているけれど、所々に旧道が残っている。そこはまるでタイムスリップしたような懐かしい世界がある。急傾斜の川沿いにへばりつくようにいくつかの部落がある。もうすでに取り壊されてしまったが、大正時代のものかと思わせる木造の小学校の校舎もあった。火の見櫓も残っている。ここが東京都だというのが嘘のような気がする。住所は正真正銘、東京都青梅市成木である。

 狭山丘陵の谷戸に源氏ホタルが飛んでいて、毎年夏の夕食を済ましてから何度も見に行った。しかし十年ほど前にもうほとんど絶えてしまって、それ以来久しく源氏ホタルを見ていない。最近になって成木川に飛んでいるという話を聞いた。
 7月10日ごろ、夕飯を食べ終わって急にホタル見物を思い立った。風のない暖かい夕暮れで、何より満月だった。
車を走らせて、成木川を数箇所巡ったけれど結局ホタルには巡り会えなかった。

ここへは四十年も前から時々絵を描きに来る。私の家からは車で小一時間で行ける。





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No.198 カルタゴ

真鶴漁港1「真鶴漁港にて」F4 ペン画




 日本人のルーツを探っていると、古代海洋国家の「カルタゴ」に行き当たった。 シュメール人の末裔と言われているフェニキア人は今のレバノンに当たる地中海沿岸に紀元前3.000年ごろから都市国家を建設して栄えていた。この人たちがその後紀元前800年ごろに建国した帝国が「カルタゴ」だった。この「カルタゴ」は地中海の海洋貿易を独占する商人の帝国になり660年続いた。紀元前300年ごろからローマが次第に勢力を強めて、カルタゴの権益を犯すようになって戦争になった。120年間に3度の戦争があった。この戦争をポエニ戦争とゆう。ポエニとはフェニキア人のことを言う。最初の第一次ポエニ戦争でシチリア争奪戦に敗れたカルタゴは、多額の賠償金の負担に喘いだ。その後劣勢を挽回する乾坤一擲の戦いをローマに挑んだ。それが第二次ポエニ戦争だ。カルタゴの名将ハンニバルは制海権を奪われたために陸路アルプス越えをして、宿敵ローマに攻め入って19年もの間、イタリア各地を占領して転戦した。圧倒的なローマ軍を相手に全ての戦いに勝ち続けたという。しかし大勢は挽回できず最後はカルタゴ東部のザマの会戦でローマ軍に敗北した。その後20万人のカルタゴ市民はローマの過酷な降伏条件に死を賭した戦いを決意して、3年間も籠城して全滅するという悲惨な末路を迎えた。それが第三次ポエニ戦争だった。
「カルタゴ」服部伸六著、現代教養文庫をよんで、このカルタゴの歴史を詳細に知った。
 日本国は明治維新で西洋列強に政権を奪われて、何度も対外戦争に駆り立てられて疲弊し、最後は太平洋戦争で日本の113都市が無残に焼き払われた。敗戦後は軍備と戦争を放棄させられてアメリカの属国となり、経済的にひどい収奪を受けた。しかしその中で日本人は身を粉にして働き、努力して奇跡的な復興を遂げたが、しかし今また金融資産を根こそぎ奪い取られて危機に直面している。その日本の姿とこのカルタゴの姿が見事に重なり、この先の不安が胸をよぎる。
以下にその「カルタゴ」服部伸六著の中から、カルタゴの末路を、私なりに要約してみた。

 何度もの敗戦によってカルタゴは厳しい講和条約飲まされた。多額の賠償金を支払を命じられた。戦艦を全て焼き払われて武装を解除され、戦争を禁じられた。海洋国家のシンボルであった商船の保有も禁じられた。その過酷な条件に耐えてカルタゴ市民はアフリカの地で農業国家として再起を図った。知恵を絞り工夫をしてアフリカの大地で農業の生産性を向上させて、画期的進歩を遂げていった。経済は奇跡の復興をして賠償金の返済も着実に進んでいた。将来の自立の道が見え始めていた。
 その頃アフリカ原住民の国家ヌミビアがカルタゴの領土を侵略し始めた。それに耐えかねて武力で対抗をしたが、それを戦争放棄の条約違反とローマに咎められた。その結果、ローマから最後通牒を突きつけられる。カルタゴ市の全てを放棄して海岸線から15キロ以上の内陸部への移住を宣告されたのだ。20万人のカルタゴ市民は死を決意して籠城戦に突入したのだった。3年間に及ぶ壮絶な籠城戦をして、最後は飢えて力尽きて全滅をした。
 第一次ポエニ戦争から百二十年後のこの第三次ポエニ戦争で、カルタゴはこの世から完全に抹殺された。ローマはこのカルタゴを憎み全てを徹底して破壊し、其の文化の痕跡すらも消し去った。


 確たる証拠はないけれど、このヌミビアの侵略はローマの謀略だったのではないか?と私は考えている。第二次ポエニ戦争後に平和国家になったカルタゴを抹殺しようという強い意思を、ローマ元老院のカトーは議会で繰り返し主張をしていたという。カルタゴとは関係のない演説をしても最後は必ず「デレンダ・エスト・カルターゴ」で締めくくったという。「カルタゴは滅ぼさなければならない」といい続けたのだ。今のアメリカにこのカトーのような主張をしている人々がいるのではないか?

そのカルタゴはフェニキア人で日本人の源流なのかもしれないという。







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No.197 シュメール文明と縄文文明

奥名栗の渓流「奥名栗の渓流」P15 水彩


 縄文文明が世界の考古学者から脚光を浴びているらしい。日本列島で紀元前1万五千年〜一万年以上も栄えたという。数々の遺跡から発掘されている火炎土器、水煙土器の洗練された造形は文明という名に値する。漆塗りの土器や竹籠も発見されている。狩猟だけでなく栗、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土したという。青森の三内丸山遺跡は重層的に遺跡が重なっていて、同じ場所に数千年定住していた。狩猟採取をして移動し、定住しなかったというこれまでの定説は全く通用しなくなっている。
 最近、北米大陸内の最古と言われる遺跡からモンゴロイドの糞石が見つかっている。縄文の人たちが海伝いにここに渡った証拠ではないかと言われている。この縄文時代は世界の四大文明の発祥より数千年も遡る。

 世界最古の文明はシュメール文明と言われている。紀元前三千八百年頃からメソポタミヤで栄えた文明だ。このシュメール人は謎の多い人たちだ。その地に突如として出現して高い文明を築き、あの洗練された楔形文字を作り上げた。粘土板に刻まれた大量の文書が発見されている。すでに詳細な解読が行われていて、そこにはノアの箱船やバベルの塔の旧約聖書の話が書かれているという。この楔形文字がギリシャ文字、アルファベットの原型になったという。
 高度な天文学を持っていた。25.800年の地軸の歳差周期を正確に計算していたという。法律を作りそれによる国家体制を築いた。よく知られるハンムラビ法典より三百五十年も古い世界最古の法典ウル・ナンム法典を作った。また大きな船を作り航海術に長けており、広く交易をしていた証拠がある。インド洋を超えて東南アジアとも交易をしていたらしい。
 このシュメール人とは一体何者か?という議論が長い間行われている。東方から来た海の民という説がある。のちに地中海世界を支配したフェニキア人とその帝国カルタゴもシュメールの末裔らしい。トロイやギリシャもフェニキア人の作り上げたものだという説もある。
 エジプト文明はシュメールより4〜5百年遅れて発達したが、シュメールの影響を強く受けていると言われている。エジプト古王朝のクフ王の坐像が大英博物館にある。その顔はまさにモンゴロイドかネグロイドだ。
 インド洋を隔てたインダス文明もシュメール人が作ったという。古くから海を介して密接に交易をしていた。シュメールの植民地だったのかもしれない。
 最近面白いものを見つけた。太平洋の絶海の孤島イースター島の謎の文字ロンゴロンゴが、インダスの文字と瓜二つだったことが発見されている。両者を比較した図を見たけれど、ほとんど同じものだ。シュメール人は驚くほど広く世界に広がっていたのかもしれない。
 シュメールの古代象形文字が次第に発達して、一千年ほどして洗練された楔形文字になったのだが、その初期の古代文字とよく似た岩刻文字が最近アジアで多く発見されているという。特に近年日本の各地から相次いで発見されて話題になっている。
 古代人は今考える以上に高度な文明を築いて、世界中と交流をして移動していたらしい。国境のある現代は案外不自由なのかもしれない。日本の旧石器時代の石鏃や石ナイフの原料の黒曜石は驚くほど遠隔地から運ばれていたという。ローマから日本まで来るのに半年〜1年しかかからないそうだ。無論逆も真なりだろう。
 このシュメール文明よりはるかに古い文明が縄文文明なのだ。しかも1万年以上も続いている。
日本人は文明は外から入って来るものという思い込みが強い。西洋文明中心の教育で洗脳されているせいだろう。縄文文明がシュメール文明の母だという発想もあっていいのではないか?私はそう思いたい。シュメール語と日本語は其の言語構造がよく似ているという話もある。シュメール人はモンゴロイドだったという人もいる。

歴史は面白い。




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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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