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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.196 にんじん通信

ダイコンの花咲く道「花の咲く道」 水彩 F6


 若い頃は何をするにも無我夢中で頑張っていた。特に大きな野心も目標もなかったけれど、先々に何か良いことが起こりそうな予感をいつも抱いていた。それを夢というかロマンというか? だから一生懸命にやってきたのだろう。
 あれから随分と年月を過ごしてきた。この頃は何をするにも億劫になっている。「よっこいしょ!」と声を出して腰をあげる。何か自分を鼓舞するものはないか?と日頃から考えている。ささやかなもので良い。「今度スケッチに行ったら、道の駅でワラビを買って帰ろう」それで一週間は生きていける。過ぎてしまうと次を探して、それを自分の鼻先にぶら下げておく。馬の鼻先にぶら下げる「にんじん」だ。それを追いかけかろうじて重い腰を上げて、また日々を過ごす。それゆえ、私のメールは「にんじん通信」という。

「落栗の 座を定めるや 窪溜り」 井上井月

 信州飯田は昔から縁があるところだった。兄が就職をして東京で下宿をしていた。その時の同僚が飯田出身の遠藤君だった。何度かあったことがある。兄は中央アルプスの木曽駒ケ岳に連れて行ってもらった。帰ってから夢中になって話をしていた。
 私が就職をして、生まれて初めて出張に行ったのが飯田にある子会社だった。その初めての出張で、一日にたった一本しかない新宿発の直通列車に乗り遅れた。ホームを間違えて右往左往していたからだ。会社の上司に連絡をした。ひどく叱られてクビになっても仕方がないと思ったが、
「しょうがないね。向こうに連絡しておくから、遅くなっても行ってらっしゃい」
という。
まだ試用期間が終わったばかりで、大した仕事はしていなかったのだ。仕方なく、列車を乗り継ぎ乗り継ぎして、ようやく午後の三時頃に子会社にたどり着いた。そこの部長に皮肉を言われた。
 その後仕事の関係でその子会社に頻繁に出張をするようになったから、いつの間にか私は飯田通になった。
飯田のリンゴは大きくて香ばしい。春になると佐倉山にある料亭で、五平餅を食べた。胡桃の味噌と山椒の新芽の香りが効いてなんとも美味だった。
 山の絵を描こうと、最初に思いついたのはこの伊那谷だった。出張の行き帰りにその美しさをよく知っていたからだろう。絵仲間の駒ヶ根高原の別荘にいつもお世話になった。自炊だった。馬刺しの美味しさはそこで初めて知った。下の街の肉屋へ行くと赤身の馬肉が並んでいる。これを必ず買ってニンニク醤油でいただく。

 公募展の初入選作は真夏の伊那谷を描いたものだった。以後毎年数回はここにに絵を描きにきている。しばらく遠のいていたので久しぶりに二泊三日の予定で出かけた。その時に駅の東口にある食堂に入った。そこのポスターや色紙で、初めて井上井月という俳人を知った。放浪の人で晩年は飯田に住み着き、ここで亡くなったという。飯田は気候が良く、住み心地が良かったらしい。後年その墓参りに種田山頭火が訪れたという。山頭火は井月を慕っていた。二人ともに放浪の俳人だった。
 俳人にはそういう人が多い。尾崎放哉もそうだ。エリートサラリーマンの全てを投げ捨てて、放浪して赤貧のうちに亡くなったという。俳句に何かそうさせるようなものが、あるのかもしれない。解るような気もする。

「分け入っても分け入っても青い山」 山頭火

「障子開けておく、海も暮れきる」  尾崎放哉




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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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