
「御射鹿池」水彩 P15
9月の木曜スケッチ会は、八ヶ岳山麓の御射鹿池を描きに出かけた。原村から横谷渓谷沿いの道を標高1.200mちかくまで登ると、道路沿いにある小さな池であった。東山魁夷がここをモチーフにして「緑響く」を描いたと言う。それで近くの温泉街で売り出し中で、最近は観光ガイドブックにも沢山載っている。いつも利用している日邦観光バスツアーの案内でここを知って、早速ここへ出かけることにした。
現地に着いて見ると静かで小さな人造湖で、対岸の緑が湖面に投影して確かに美しい。足場も良く快適なスケッチが出来た。湖面の色は不思議な美しさで、これを描くのは難しかった。自然はなんと素敵だろう。
この「御射鹿池」と言う名前は変わっている。調べてみると諏訪大社の御射山神事という神事があり、そこに供える鹿をこの地で射るので地名を御射鹿という。それがこの池の名前の由来と言う。この辺り一帯は古来から諏訪大社の神聖な神野であったという。生け贄を捧げる神事はユダヤ教由来の神事らしい。
諏訪大社は不思議なところだ。戦の神としてその名は古来から轟いており、中先代の乱の時に一度破れた北条が諏訪氏を味方につけて再び鎌倉に攻め上った。その時に諏訪大社の幟をはためかしたので、迎え撃つ足利の軍勢は恐れをなして逃げ惑い、鎌倉を簡単に奪回してしまった。鎌倉で敗北した足利直義は西に逃げた。浜名湖で京都から尊氏が率いる援軍と合流する。尊氏は一計を案じ、偽の諏訪大社の幟を大量に作って高く掲げて迎え撃ったと言う。それで大勝利をした。諏訪大社恐るべし。
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「人間50年下天の内に比ぶれば、夢幻のごとくなり」
幸若舞の敦盛の一節を折に触れて思い出す。
70年は何もかも幻だったのか? 忘れてしまえばみんな消える。思い出を共有する仲間や友人もいなくなった。それでいいんだ!と言いつつ、気がつくと過去を何度も反芻している。
「願わくは 花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃」 西行法師
「分け入っても 分け入っても 青い山」 山頭火

絵を始めると野外スケッチをしたくなる。美しい自然の中で絵筆を取るのは楽しい。しかし近くの街や公園を描くのならばさほどではないが、遠隔地の海や山、渓流を描くのは存外大変である。重い絵の道具を背負って電車やバスを乗り継いで、現地に行っても良いアングルを探すのに手間取る。特に女性は山奥では怖いし、トイレも心配だ。
そんな声を聞いて、木曜スケッチ会を13年前に立ち上げた。風景画を40年も描いているので、幸いに近郊のスケッチポイントは隅々迄知っている。そのポイント近くに貸し切りバスでいく。現地の案内をして、それぞれが思い思いの場所で描く。希望する人はアドバイスをし、最後に簡単な講評会をする。未完成でも絵を見せ合うのが良い勉強になる。
この13年間に近郊の風光明媚な場所を随分と描きに行った。
夏は標高の高い涼しい高原。秋になると次第に下界に降りて、紅葉の山々を描く。冬は内房の大貫漁港、安房勝山、逗子や真鶴漁港、熱海などの暖かい海辺だ。春は秩父や上州の芽吹く木々や美しい新緑を描く。
日帰りだからあまり遠くには行けない。信州の安曇野や伊那谷、新潟の八海山あたりが限度だ。海は安房勝山辺り迄だろう。この12年間で140カ所も描いて回った。
この木曜スケッチ会の第一回目は紅葉の妙義山で、参加者は7人だった。その後会員が増えて最盛期の会員は35人で、多いときは25人近くの参加者が有った。
しかし最近だいぶ参加者も少なくなった。バスを仕立てるのは人数がいる。
13年の歴史の火を消さないようにミニコミ紙
「熟年ばんざい」に広告を出して参加者を募ります。
行きたい場所だけを選べます。どなたでも気軽に参加ください。画材は自由です。初心者で希望者すれば指導もします。
<木曜スケッチ会問い合わせ、連絡先>
所沢市三ヶ島1-119-5 脇 昌彦
電話 04-2948-7387 携帯 090-4399-7332

「梅雨の鎌北湖」水彩 F6
蕎麦を食べると、必ず思い出す。学生の頃、信濃松川で工場実習をした。地元のそば屋で歓迎会をしてもらった。街の中の民家の畳の部屋に総勢5人でテーブルを囲んだ。幹事が
「今日は2升でお願いします」
と蕎麦の注文をした。酒を飲んで待つこと1時間ほどで、大皿に茹でたての蕎麦が山盛りになって来た。10種ほどの薬味が漆の容器に入っている。この蕎麦をつけ汁に多くの種類の薬味を入れて食べた。本当に美味かった。
その時に蕎麦のうまさを知った。蕎麦そのものの美味さは地味な微妙なものだ。ほのかな香りと舌触り。つけ汁がものを言う。そして薬味が味を引き立てる。薬味が何だったかもう記憶にないが、白ネギ、青ネギ、七味唐辛子、胡麻、すりおろした山葵、山椒その他だったのだろう。
ある日、自宅でそばの乾麺を茹でた。冷蔵庫を探してもネギがない。チューブ入りの山葵もない。ままよと買い置きのそばつゆを薄めてそれで食べたが、全く味気のないものだった。
湯豆腐、冷や奴、うなぎの蒲焼きだって薬味が有ると無しでは大違いなのだ。しかし薬味はそのままは食べられない。酷く辛かったり生臭かったりする。
ワサビは刺身や蕎麦には欠かせない。特に本物をすりおろすと甘みも香りも格別だ。安曇野にスケッチに行くと必ず買って帰る。奥多摩でも時々手に入れる。どちらかと言うと奥多摩の方が美味い気がする。山間部の小さな山葵田で作っているせいだろう。
安曇野スケッチの帰りのバスで、大王ワサビ田のレストランのワサビ丼が美味かったと絵仲間が言う。彼曰く「ご飯の上におろしたワサビを載せて醤油をかけて、かき混ぜて食べた」という。早速自宅に帰っておろしたワサビを少し贅沢にしてやってみた。一口〜二口食べてあまりの辛さに吐き出して、水で口を洗ったが涙が止まらない。くしゃみも連発。ワサビの量が多すぎたのだ。
世の中にも薬味がある。は勝負事やギャンブルだ。競輪、競馬、パチンコ、競艇。株や為替の売買もそうだろう。生活に変化を付け味わい深くする。しかし、薬味だからほんの少しで良いのだ。多すぎては料理も人生も台無しになってしまう。大量に薬味をかけた蕎麦は食べられない。どんぶりに七味唐辛子を盛って、蕎麦を少し乗せて食えますか?
食ったら死にます。ワサビ丼もそうだ。
昔知人が韓国駐在して4〜5年ぶりに帰国した。会社の食堂で並んでかけそばを食べた。ふと隣を見ると七味唐辛子を蕎麦が見えなくなるほどかけている。そうしないと食べた気がしないと言う。なれっこになっているらしい。
薬味やギャンブルは、やりすぎるとだんだん麻痺して中毒になるらしい。ほんの少々が良いのだろう。

「初秋の成木川」F6 水彩
東京の青梅市の北部の山間を流れる小さな川。この川との関わりはもう40年になるだろう。
絵を描き始めた頃からだ。狭山丘陵に飽きた頃から、多摩川、秋川や名栗川や高麗川を描き歩いた。自宅から車で名栗川に向かう途中にこの成木川を見つけた。小川と言うのがふさわしい。
この川沿いで初めて描いたのは、最上流の滝の上部落の古い民家だった。そこは高水山の北麓の山間である。渓流沿いの道は狭く、車を止めるのに苦労をした。斜面の苔むした石垣も魅力的だった。
畑の中には村落共同の小さな道具小屋が有った。村の冠婚葬祭に使う什器が収納されているという。その部落を通り抜けて杉の暗い渓谷を登ると、その奥が成木川の源流だった。
そこから川は山間の幾つもの集落を縫って流れ下り、やがて開けた田圃に出る。そこは静かで特に春先や秋は良いモチーフになる。
このすぐ下で成木川と支流の黒沢川が正面衝突して、成木川は直角に流れを変える。川のT字路になっている。大雨になったらどうなるのか?といつも思う。
ここから下流も幾つもの良いスケッチポイントがあって、やがて飯能市で名栗川に合流している。
変哲もない小川だけれど、静かで普段着の侭の自然さが残っていて、そこが魅力的だ。
この川を描いた絵は数多い。「初秋の成木川」は中流の大多摩霊園の下で生徒と一緒に描いた。