脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.184 好奇心

おくひだ「奥飛騨、錫杖岳」F6 水彩



「〜の謎」「〜秘密」と言う題名の本は良く売れるらしい。世界の秘境、七不思議なども同じだ。探検記も好奇心をそそる。私も好きなのでついつい買ってしまう。
 40年以上前になるだろうか、川口慧海著「チベット旅行記」を隣の人から借りて読んだのは。筑摩書房ノンフィクション全集の一冊だった。
 明治時代のチベットは厳重に鎖国されて、外国人の入国は出来なかった。謎の国だった。しかし熱心な仏教研究家で僧侶だった慧海は仏教の原典を求めて単身命がけで密入国し、僧になりすまし首都ラサのポタラ宮殿に2年以上潜伏した。やがて正体が発覚しそうになり大量の仏典を持って、標高7.000mもある険しいヒマラヤの峠を超えて逃げ帰った。これが実に面白くて虜になった。謎の秘境チベットが私の好奇心をいたく刺激したのだ。
 西川一三著「秘境西域八年の潜航」もまた面白かった。日本軍の諜報員で中国奥地で敗戦になりチベット、インドに単身潜航して苦難の末に帰国する冒険談。「鳥葬の国・秘境チベット」川喜田二郎著も読んだがこれは記録映画にもなった。隠亡が死体を石で砕いてまき散らすと、空で待っていた禿鷹が舞い降りて瞬く間に奇麗に食べてしまう。その映像は今も記憶している。その後スウエン・ヘディンやオーレル・スタインの西域やチベット探検記などを立て続けに読んだ。

 始めは河口慧海の影響でチベットやタクラマカン砂漠などの西域が多かったが、その後読む本は次第に中国奥地、アマゾン、アフリカと広がっている。最近はだんだん情報化が進み謎や秘境が失われて、探検記は難しくなっている。
 そんな中で特に面白かった探検記はレドモンド・オハンロン著「コンゴ・ジャーニー」だった。イギリス人の探検家がコンゴの密林で悪戦苦闘して、ついに生死の極限でアフリカ人ガイドと喧嘩をする。アフリカを植民地にして搾取し今も主人面をしている白人の著者を、黒人ガイドが口汚くののしる場面は、圧巻である。

 私の読む探検記は皆著者自身が命を掛けて実体験をし、それを綴ったものばかりである。猛烈で強固な意志とそれを支える肉体の生々しさと厳しさ、そして極限状態に追いつめられた人の精神や行動が実に面白い。
 そして、なによりも探検記は好奇心を満たしてくれる。食欲、性欲、権力欲、名誉欲と人はいろいろな欲望を持っているが、その中でも好奇心は存外大きな欲望なのではないか。
 科学や学問の高邁な目的をいうけれど、所詮は好奇心なのだろう。ついついつられて、面白がっているだけなのだ。その子供のような純粋さが大事。面白いと思うと人は凄いエネルギーを出す。為にしてはいけない。

 最近はもうかれこれ6年間も日本の歴史の裏を探っている。謎だらけで面白くて止められない。好奇心こそが科学や文明の原動力なのかもしれない。






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No.183 愛猫追想(1)

五日市深沢の民家「五日市深沢の民家」F6 水彩



 3年前に亡くなった愛猫はキクちゃんという。「田舎っぺ大将」の恋人の名を拝借した。小さい頃は啼かなかったので唖だと思っていた。ある時外の梯子の上から、地面に落ちた瞬間「ギャー」と叫んで、それ以後は良く啼くようになった。
 毛の長い赤トラで人見知りが強く臆病だった。冬になると布団に潜り込んでかならず足の間で寝る。寝苦しいが我慢して寝ていた。抱いて顔を付き合わせるのも嫌がった。目をそらせてしまう。
 勤めから帰宅すると、玄関で喜んで鳴きながら足に纏わりつく。階段を上がる時は危ない。着替え終えて抱いてやると漸くおとなしくなった。
「俺をこんなに喜んでくれるのは、この世でお前だけだ」と気づいて思わず涙したことが有る。
 可愛くて猫っかわいがりをした。私のしつけが悪くて駄目猫になったと家族に噂されていた。美人でもなく素行も難ありだけれど、可愛いものは可愛い。
 暇なときは良く家の裏の広場で二人きりで遊んだ。しゃがんで草でジャラしたり虫取りをした。弱虫なので雀や鳩は怖い。少し遊んで立ち上がって場所を変えた。あちこち移動するたびに啼きながら後を付いてくる。そんなことを繰り返していたが、ある時不思議なことに気づいた。もう止めて帰ろうと立ち上がって歩くと、後を付いてこないのだ。そっぽを向いて不機嫌な顔をしている。まさかと思いながらその後何度か気をつけていると、間違いはなかった。私の気配を感じ取っているのだ。
 もっと不思議なのは、試してやろうと帰るそぶりをしたが、それを見破って嬉しそうに付いて来たのだ。おまけにもう一つ不思議なのは、そんな振る舞いをするのは彼女と二人きりの時だけであった。周囲に人がいるのはむろん、遠くに車が走っていても駄目だった。
 だからその不思議な行動は、誰にも見せてあげられない。カメラを据えて演技しても、彼女は敏感に感じて駄目だろう。
「おまえ、そんな馬鹿なこと嘘だろう」と疑われても証明のしようがない。
これは愛猫キクちゃんと私の二人だけの秘密なのだ。

書いている内に思いが募って、胸がいっぱいになった。化けて出てこい!





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No.182 下仁田の不思議

下仁田街道晩夏「下仁田晩夏」F6 水彩


 在職中は軽井沢の先にある御代田町の子会社によく出張をした。当時は高速道路がなかったので国道254号を走って藤岡や富岡町を経由して下仁田を通り、和美峠を越えて軽井沢に抜けて行った。
 街道の途中に「大黒屋」と言うラーメン店が有り何度か立ち寄った。店内には所狭しと昭和の映画のポスターや手回し蓄音機や、金鳥蚊取り線香やスモカ歯磨粉の琺瑯製の看板が並べてある。山賊ラーメンが売り物だ。ここで初めて食用蛙の姿焼きを食べた。淡白で鶏肉のようだった。随分と昔なので記憶もあやふやだけれど、面白い店だった。
 和美峠に向かう道の両側には見上げるような奇岩が聳え、その山裾の傾斜地に昔ながらの民家があり素敵な光景だった。(今は道路は改修されてその頃の魅力はなくなっている)

 帰路は下仁田で蒟蒻と葱を買って帰った。家に帰ると早速スキ焼きにして食べた。下仁田葱は太くて煮ると柔らかくて美味い。この葱はこの地独特で、他の土地に移植しても次第に普通の葱になってしまうと言う。
また日本の蒟蒻の生産量の90%は下仁田産で、残る10%は赤城山麓だと言う。殆どが下仁田周辺で取れるそうだ。日本の山地ならば何処でも作れそうな気がするが、土地や風土のえり好みが激しいのだろうか。

 退職後も妙義山にスケッチに行くことが多いので、下仁田によく来る。高速の長野道が出来て近くなった。
街の周囲に幾つもの小山があり、どこからもよく見える。それがこの街に独特の雰囲気を作っている。調べてみると、地質学上でこの小山はクリッペと呼ばれ、下の地質と関係のない異質なものが地面の上に転がっているのだと言う。それが何処から来たものか全く判っていないらしい。雹のように空から降ったのか?
 また、山間部に風穴なるものが有る。山の麓の岩の隙間から一年中冷たい風が吹き出ている。明治時代にこれに小屋掛けをしてここで蚕種の保存をした。このお陰で何時でも蚕種の供給が出来るようになり、生産効率が大いに向上したと言う。大量の蚕種を預かり日本一の貯蔵量であったという。今は冷蔵庫に置き換わってしまったが、文化財として保存されている。この冷たい空気は山の頂上から割れ目を通って下に吹き出すのだろう。

 街道の奥の信州との境に独特の形をした荒船山がある。別名軍艦山と言う。いわゆるテーブルマウンテンだ。
昔にこの荒船山を描きに出かけた。旧道のトンネルの出口近くに唯一全貌が見える場所が有ると聞いていた。苦労して漸くその場所を探し当てたのだが、そそり立つ険しい山は逆光で真っ黒なシルエットであった。早朝でないと駄目だった。色付けは止めてP15号に木炭で描いた。

その日は街道を少し戻って、途中の静かで魅力的な旧街道をF6で描いた。下仁田街道は独特な雰囲気で、不思議なところだ。








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No.181 金太郎飴

梅雨の公園「梅雨の公園」F6 水彩



 在職中の最期の頃に仕事で香港、中国に3回、ニューヨークに1回行った。53才まで海外に出たことがなく、この時初めてパスポートを作って行ったのは香港だった。発注した金型の検収だった。九龍の暗い工場と事務所で2日過ごしてとんぼ返りであった。現地駐在員に送迎をしてもらったのだが、空気も騒音も人も食い物も何もかもが異質で、現地にいる間中面白くて興奮していた。この僅かな海外体験は実に刺激的であった。
 2度目に香港に行った時、仕事を無事終えると金型屋の社長が食事に誘ってくれた。私は「滅多に来れないので街を歩いてみたい。解放して下さい」と丁重にお願いした。そして夜中まで歩き回った。その時のスケッチも数枚残っている。実に面白かった。
 その後の中国奥地の工場に半月過ごした体験も忘れられない。そこで開発した製品の不良対策をしたのだが、中国人従業員の生活習慣の違いに毎日驚き感心していた。
 これで海外旅行が面白いことを知って、その後在職中に西安、敦煌旅行をして、退職後に台湾旅行を旅行した。敦煌、西安はスケッチが目的だった。経済的にかなり無理をした。
 この少しの経験で知ったのは、海外旅行はただ異質な空気に触れているだけで見るもの聞くもの全てが面白いということだった。

 国内に目を転じると、最近強く思うのはどこへ行っても同じようなスーパー、コンビニ、レストラン、ハンバーガーショップ、喫茶店、パチンコ屋、映画館、デパートがあって、本当に代わり映えがしない。服装も言葉もほとんど同じだ。高速道路と新幹線が日本中を回っている。旅行がつまらなくなった。日本中が金太郎飴になっている。
 だから逆に観光地は無理にその違いを作って演出している。上手くやると観光客が押し寄せる。しかしその違いは演出されたもので、本物ではない。わざわざ昔風の建物を造って昔ながらの食べ物をて売っている。地方から民家を集めたりもする。
 海外も次第に同じような傾向になっていると言う。同じ巨大資本のデパートやコンビニやスーパーが何処の国へも自由に出店するのだからむりもない。

 最近イギリスが国民投票でEUを離脱することになった。この余波でEU諸国も大揺れで、追いかけて離脱する国が出てきそうだ。そうなるとEUが分解して昔のように国境が復活して、通貨はマルクやフラン、ペセタやリラ、ドラクエなどの懐かしい通貨になるかもしれない。国の政治はそれぞれが独自性を発揮できるようになり、お国柄や文化の違いがもっと生まれて、昔のような多様な国家群が出来てきそうだ。多少不便になるが、旅行者にはずっと面白くなるだろう。

 江戸時代の日本は藩の独立性が強く関所が設けられて、通行も規制されていた。だから地方ごとに独自の文化や風土が醸成され、方言が酷くて薩摩と津軽、会津や名古屋では通訳がなければ話は通じなかった。食べ物も料理も藩ごとに独自で多様であった。この時代の国内旅行はさぞや刺激的で面白かっただろう。弥次さんや喜多さんがうらやましい。

 明治になって廃藩置県をして中央集権政府が出来た。人や物の往来は自由になった。東京には地方各地から人が集まったが方言で話が通じない。そのドタバタを面白く描いたのが、井上ひさし著の「国語元年」だ。NHKドラマで放映されて抱腹絶倒した。佐藤敬演ずる強盗が薩摩の女中に会津弁で「金を出せ!」と言うのだがチンプンカンプンだ。

 地方自治をもっと進めて各地の独自性を育てよう。多少不便の方が良い。EUも解散して昔の多様なヨーロッパ諸国を復活しよう。旅行の楽しみが一段と増すだろう。
退屈な金太郎飴はもうたくさんだ。





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No.180 川遊び

緑陰小渓「緑陰小溪」F6 水彩


 子供時代の夏は海で遊ぶのがなによりだった。
5月頃になると待ちきれずに、小学校の帰りに遠回りをしてギラギラと光る海に出た。砂浜にランドセルや服を脱ぎ捨て、真っ裸で海に飛び込んだ。清々しい冷たい海水の中で、魚のように泳いだあの時の快感は忘れられない。
 むろん夏休みは毎日朝から海で遊んでいた。家から海水パンツ一枚で1km程の松林の中を歩いて海に行った。釣りに潮干狩り、貝取り、遠泳に地引き網の手伝いと陽が落ちるまで遊んでいた。昼ご飯を食べに家に帰り少し昼寝をして又海に出かけた。 台風の最中もだ。猛烈な風と見上げる程の波の中に翻弄されるのがたまらなく面白かった。夏休みが終わる頃は、日焼けで真っ黒になって、黒い顔に2個の目玉だけがが異様に白く光っていた。

 あれから海を離れ、都会の雑踏の中であたふたと忙しい60年近くの時を過ごした。瞬く間に過ぎて行った。今住んでいる所沢からは海は遠く、子供たちを何度か連れて行ったきりであった。時折無性に恋しいと思うときもあるが、年を取ってそれも諦めていた。

 しかしこの4〜5年可愛い孫達が、多摩川や秋川の川遊びに付き合ってくれるようになった。一緒に無邪気に冷たい渓流に飛び込んだりゴムボートに乗ったり、川魚を追いかける。60年前に帰ったようで実に楽しい。もう諦めていたのに、あの海で遊んだ感動がまた味わえるようになった。幾つになっても、自然の中で無邪気に戯れるのが最上の喜びだと思う。老人1人では川遊びは出来ない。孫に感謝!
さあもうすぐ夏休みだ。又川遊びに行こう!




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No.179 偽装国家

青いタグボート「青いタグボート」F6 水彩


 矢部宏治さんに感謝!!
彼はすばらしい本を2冊出版した。
・「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」
・「日本はなぜ戦争が出来る国になったのか」


 敗戦後の米軍の占領下にあった日本は、サンフランシスコ講話条約の下に独立国になって、その後国連に加盟した。選挙をして首相を選び、独自の憲法や法律を持ち、国旗、国家を持ち自衛隊と言う国軍を持っている。世界各国に大使館を設置し条約を交わしている。押しも押されぬ独立国と思っていた。日の丸はためく東京オリンピックはその象徴だった。
でもなんか変だと長い間感じていた。何だろう?米国が絡んでいるのは確かだったが、よくわからなかった。
 その日本という国の正体を、誰にでも判るようにこの2冊の本に書いてくれた。この本の題名で矢部宏治さんの狙いが判る。読んでみようと言う気になる。
 むろん彼は表と裏の外交文書や研究書を洗いざらい調べあげている。そして私は長い間感じていたこの国に対する違和感が何なのか、この本のお陰で理解した。
「やっぱりそうなのか」とストンと腑に落ちて来た。

 著者が調べ上げてくれた我が日本国の実態は驚くべきものだった。

(1)日本には巨大な沖縄基地を始めとして、20カ所もの米軍基地が有る。米軍は基地の拡張、新設も自由にできる。
(2)首都東京と沖縄を中心とした広大な空域はすべて米軍の管理下にあり、日本の飛行機はその中を米軍の許可なく飛べない。
(3)米軍は日本中を自由に行動できる。超低空飛行訓練も夜間飛行も、戦車で走行することも自由だ。核兵器も持ち込める。
(4)米軍人は日本の法律に従わなくてよい。パスポートもビザも必要なく税関もフリーパスだ。国境がない。
(5)自衛隊は実質的に米軍の指揮下に有り、許可なく独自の行動はとれない。米軍の下請けになっている。
(6)原発は米軍の核兵器用プルトニウム生産工場であり、日米原子力協定で縛られていて米国の許可無く何ごとも出来ない。日本は電気料金の決定しか許されていない。
(7)日米合同委員会が毎月2回開催されて、日本国内のあらゆる分野で米軍の指示が出ており、それに従って行政と国会が動いている。内容は秘密である。これが日本の裏の政府だ。
(8)日米合同委員会の日本側のメンバーは官界の超エリートで、そこの出身者が検事総長に就任する。

 これを見ると日本国が独立国等とは到底思えない。しかも嫌らしくも不愉快なことは、表向き独立国を偽装していることだ。おかしな政策は「日本の国民や政治家が自ら望んだこと」とにされている。日米合同委員会の内容はそのために秘密になっているのだ。
 さらに最近判って来たことは、日本の大手マスコミは電通を介してアメリカに操作されて、日本国の偽装に加担している。
 その上極めつけは、選挙結果を不正な方法で改竄していることだ。これは多くの証拠がインターネットに上げられている。筆跡のおなじ票、コピーされたと思われる票が全国で大量に発見されている。また(株)ムサシ製の電子開票機による票数の改竄が行われている疑いが有る。疑惑は他に幾らもある。
 この不正選挙の裏はむろんアメリカなのだろう。選挙結果無効裁判が日本全国で数十件程起こされているが、マスコミはこの件を全く報道しない。裁判所はほとんど受け付けない。
 最近珍しい記事が有った。この前の沖縄県議選で電子開票機の結果に抗議が有り、再開票をして付き合わせたら、大きな差が発覚して訂正されたという。これを朝日新聞が初めて報道したのだ。電子開票機の票の改竄は事実だった。これは民主主義の根幹を揺るがすものだ。偽装民主主義だ。

 やっと日本国の酷い実態「偽装国家」が判って来たが、しかし時はもう遅すぎるのかもしれない。日本はドルとアメリカ国債を大量に買わされて、既に米国に1.000兆円もの資産を奪われてしまっている。破綻寸前になっている。そして米軍の戦争に駆り出されるようになってしまった。自民党清和会がこの亡国の原因を作って、その最期のとどめを刺したのは阿部政権だ。

 偽装国家は白人の数百年に渡る植民地支配の常套手段である。明治維新は薩摩藩や長州藩等の維新の志士たちの革命と教えられたが、実態は英国や米国の資金と武器による日本侵略だった。英国の本国から繰り返し日本の公使や駐在員に指示が来たと言う。「決して表に出るな。日本人自身で成し遂げたようにしろ」と。

 その当時と今の日本の実態は少しも変わっていない。当時から日本は偽装国家である。しかし嘘をつき続けると人の精神は堕落して行く。精神が崩壊するとその国や文化は破滅する。

 生活の党の山本太郎氏が国会の予算委員会で質問に立ち「日本は何時までアメリカの属国をしているんだ!」と言った。これは日本国会のタブーであって、初めてのことだという。勇気有る発言だと思う。みんなでこんな風に発言をしよう。
「我が国は圧倒的な武力で米軍に支配され、長い間苦境に立たされている。しかし、日本人の誇りと精神と文化を失ってはならない。いつか機会を見て共に独立に立ち上がる時が来るだろう。今はその時の為に臥薪嘗胆、耐えてほしい」
と正直に訴えかける政治家を待望する。
 そう正直に訴えてくれれば彼を信頼して一丸となり、やがて真の独立の為に日本人は大きな力を発揮するだろう。
それが唯一の出発点だと言う気がする。偽装国家はもう止めよう!







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No.178 生物(なまもの)

公園炎暑「公園炎暑」F6 水彩


 むかし思い悩んだ頃に、何冊かの原始仏典の対訳を図書館で借りて読んだ。それが何だったかもう記憶にないが、このときの驚きは今も鮮明に記憶している。不確かな記憶を便りに書く。
 初期の仏教教団内は人種身分男女の差別が全くない。そして強制がなく真実を求めて自由に討論し合っていたという。釈迦も同じ修行者であったらしい。
 人間とは何か?それを知る為に釈迦は弟子とともに死体置き場で座禅する。昨日までいきいきと目を輝かせていた人が、あっという間に死んでしまう。死体が放置される。野犬が群がり、腐乱し、蛆が湧き、やがて乾涸び白骨になる。それを長期間座禅してじっと凝視している。その真実を追究するすざましい執念とリアリズムに驚く。
 坊さんは袈裟を着る。その袈裟とは梵語で「壊色・混濁色」を意味するカシャーヤ(Kasaya)を音訳したものだと言う。つまり死体をくるんで血と膿で赤く汚れた布のことだ。その布を集めて、洗って継ぎ接ぎして作ったのが袈裟である。
 平安時代の何と言う絵巻だったか記憶していないが、死んだ美しい姫君の変わり果てて白骨になるまでの姿を克明に描いたものが有った。この絵師はこの仏典を読んでいたのかもしれない。

また人のことをこういっている。
「のべつに水を飲み、食べている。そして年中汗を流しよだれを垂らし、小便をし、糞をする」
又こうも言う。
「人は燃える炎のようなものだ。風でゆらゆらと動き捕まえどころがなく、不確かだ。薪をくべると燃え上がり除けばすぐに消える。しかし触ると火傷をする。有るようで無い。無いようで有る不確かなもの」
それが人間の命だという。
 
 詳細は皆忘れて正確ではないけれど、おおよそそんなことが原始仏典には判り易く書かれていた。これに私は真実感銘した。カビ臭い訳の判らないお経の中に、こんなことが書かれているとは!! 
2.500年も前にはかない人の生の存在をじっと見つめ、真実を追究している人達がいたのだ。

 人は生物である。「なまもの」なのだ。蓄えられない。年齢にふさわしい喜怒哀楽も貯めておけない。冨を蓄えるまで我慢して、それからじっくり味わおうとしても、その時には皆変わり果てて腐っている。しかも度が過ぎた冨の蓄積は周囲から恨まれ、妬まれる。周囲の人を不幸にして犯罪的だ。
 バス一台に乗った世界の超富豪の所有する冨が、世界の富の50%を占めるという。これが真実ならば狂っているとしか言いようがない。

お金にも有効期限を付けて腐ってしまうようにすれば良い。お金も人と同じ「なまもの」にしてしまおう。







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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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