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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.162 列車強盗!

「奥多摩・氷川」P15 水彩「奥多摩・氷川」P15 水彩


 15年程前に会社に勤務していた頃、ある製品の開発をしていた。子会社の中国人のW君が私のアシスタントであった。優秀で日本語も堪能、よく働いてくれて本当に助けになった。
 開発が終わって量産導入されたが、しばらくして中国の河門市の工場に生産ラインを移転するので出張することになった。W君と一緒なら心強いので同行することにした。そこには前に一度行ったが、香港で一泊してビザを取って、そこから高速フェリーで西江を2時間程遡行した。ところがW君曰く、中国人は北京経由でないと駄目という。早朝の一番機に乗るので、前日夜に羽田に泊まってくださいという。それほど時間はかからないようなので、当日の10時頃の便で行こうと言ったが、彼はどうしても日没前に現地に到着しなければ駄目だという。
 羽田から北京に行き、そこから国内便に乗り換え、最後は長距離バスに乗るという。彼曰く
「夜になると列車強盗やバス強盗に襲われる危険があるので、どうしても日の落ちる前に着きたいんです」
冗談だろ!と笑うと真剣な顔で
「ほんとに危ないんです」
という。
 それでも私は信じなかったが、彼の言うとおりの時間とコースで行くことにした。なにか他にそうしたい理由があるのかと思ったが、詮索はしなかった。
 この中国行きは、直前に仕事に重大な問題が起きて、私は急遽行くのを中止した。結局W君一人で行ってもらった。
 その後「列車強盗」の話は、長い間私のおもしろ話にしていた。いわば「ほら吹き男爵」のつもりだった。
しかし最近読んだ本でそれが冗談ではないことを知った。
 日本人が知らない「中国人の本性」黄文雄著 の中の一部を以下に転載する。

 走行中の車を襲う強盗が跋扈しはじめたのは、90年代に入ってからである。1990年の旧正月から翌年の旧正月迄に、中国の鉄道や道路で発生した襲撃、強奪事件は5万2千件であった。この時は、3.700人のの強盗犯が即座に処刑されたが、その後も事件の数は横ばいのままだ。長距離バスや列車を襲うのはたんなるコソドロではない。組織化された窃盗グループで、そのやり方はだんだんと派手になっている。盗むものも、金品などの小物ではなく大量の物資を強奪するケースが増えた。
 強盗は数人一組になって刀や拳銃でバスや列車の乗客を脅し、金目のものをすべて奪っていく。こういった事件は中国では頻繁に起こるため、そのたびに乗客は何の抵抗もせず命だけは守ろうとするのである。


 これは驚きであった。私たち日本人にはにわかに信じられないのも無理はない。W君は真剣だったのだ。そして話の出所は忘れたが、バスや列車に乗る時は指輪や腕時計は外すという。急いでいる強盗に手や指を切られてしまうらしい。
 この本にはその他の中国人の嘘や詐欺、賄賂等の無法社会が列挙されている。それらはおおよそ私たち日本人の想像を超えている。むろんすべての中国人がそうではないのだけれど、その悪事の確率の高さを見ると桁違いだ。
 そういえば心当たりもある。香港と中国に仕事や観光で5回程行ったが、騙され脅されて金を取られたのが3回あった。小額だったけれど。これはかなりの確率だと思う。
 文化大革命では2.000万人の中国人が犠牲になったと言われている。ベストセラーになった『ワイルド・スワン」にその様子が詳しい。私の知人にその文化大革命で、辛酸をなめてきた人がいた。その人の話も中国社会の苛烈さを証明していた。
 日本の歴史もさることながら、他国のことももっと学ばなくては駄目だと思う。日本の常識は全く通用しないようだ。




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No.161 何かがおかしい

清流秋川「清流秋川」F6 水彩



 つい最近あるきっかけで知り合った広島出身の人の話を聞いて、まさか?と思った。しかし、その話はリアルでとても嘘とは思えなかった。私が同県人だと分かってこんな話をした。
「私の家族は広島市内に住んでおり、父親は陸軍の幹部でした。父はあるとき家族を呼び集めて、家族全員福山市に引っ越すように、と言われたんです。周囲に気づかれないように少しずつ荷物を運び、夜逃げをするようでした。親戚の人もそうした。その数日後に原子爆弾が広島市に落ちた。だから親族全員助かったんです」

 私の父は広島県の三原市出身で、母は尾道の出である。私の叔母はやはり広島市内に住んでいて、叔母と妹の二人は学徒動員で郊外の軍需工場に出かけていて生き残ったが、両親と親族は原爆で全て亡くなった。叔父は長靴を履いて、一面の焼け野原の中を叔母の家族を捜して歩いたという。
 陸軍の幹部は広島に原子爆弾が落とされるのを、事前に知っていたらしい。そしてそれを隠していた。
 これに関しては、その後読んだ鬼塚英昭の著書「天皇のロザリオ」に、昭和天皇が事前にそれを知っていたと記されていた。しかも4万5千人近くの陸軍と学徒隊を広島市内に集結させていたという。驚くべきことであった。このユーチューブにもそれが詳しい。
 隠し事はこうして漏れるのだろう。それにしても、日本国家は何かおかしい?
 原発をどうするか、米軍基地をどうするか、日本人には何の権限もない。TPPしかり。何かがおかしい!



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No.160 覚悟を決めて

春の高麗郷「春の高麗郷」F6 水彩


 敗戦後の平和な復興期に生まれ育ったのは幸運であったと思う。しかし最近は世の中が不景気で貧富の差が大きくなり、次第に戦争の足音が聞こえてくる。戦争は誰も望まない。平和に越したことはない。しかし、自国の安全が脅かされれば、悲しいけれど武力が必要になる。それが歴史の現実だと思う。
<戦争を避けるには国を安定した社会にする>
 しかし、戦争避けるために最初に必要なことは、自分の国を持続的な安定した社会にするのが大事だと思う。国が乱れるとヒステリックになり、悪質な政治家や愚かなマスコミに煽動されて戦争をすることになるからだ。
 社会を理性的な助け合いで結ばれた持続的な安定した社会にすることだ。難しいことではない。
1)極端な貧富の差を作らないこと
2)極端な悪平等を避けること
3)それを実現するための厳格な法を整備すること
4)それを全員で合意して、教育に反映させて共助社会を作ること

 例えば、個人の年収の下限と上限を決める。下限を300万として上限を3000万円とする。300万以下は補填して、3000万以上は没収する。保有資産の上限は3億円として、それ以上は全て没収する。この最低と最高の間で自由に競争をすれば、個人の努力は十分に報われる。3億円貯まるとその人は双六でいう上がり。引退してもゆっくりと生涯豊かに暮らせる。もっと社会のために貢献した人には、金銭ではなく尊敬と名誉という報酬がある。金銭だけでは人は幸福にはなれない。
 自由な競争は人を啓発させ社会を活性化させて、才能があり努力した人は高収入が得られる。しかし上限がないと最初に競争に勝った人が有利になりやがて極端に貧富の差が出来る。そうすると社会は乱れる。治安が悪化しては金持ちも幸福になれない。今のアメリカや西欧社会がその典型である。最近の日本も悲しいかなそうなって来た。また、極端な悪平等は人や社会を沈滞させて貧困を招き、国家権力の集中による全体主義に陥る。旧共産主義諸国がそれであった。全て失敗した。今の中国はあろうことか両方の悪いところを継ぎ足した。最悪である。だから長続きはしないだろう。
<通貨の発行は国で管理する>
 今でもなきに等しいが、銀行預金の利子は廃止する。これがあると働かずに贅沢な暮らしをする不健康な人々を生み出す。つまり利子が利子を生むような今の銀行制度を変えることだ。銀行は貯金の預かり手数料で運営する。そして、イスラム銀行のように貸し出し利息も廃止すれば良い。利子のないイスラム銀行は以前のブログでも紹介した。実現している。通貨の発行は政府で管理し、コントロールしなければならない。今のように訳の分からぬ中央銀行にまかせては行けない。ほとんど野放しである。ユダヤのロスチャイルドが日本銀行の隠された大株主と言われている。
<軍需産業の肥大化を許すな>
 そしてなによりも、戦争で利益を得るような軍需産業の極端な肥大化を抑制しなければならない。
 世界180カ国の年間軍事費はおおよそ120兆円で、そのうちアメリカ一国で60兆円だ。巨大な軍需産業がアメリカ経済の大な比率を占めている。だから世界で戦争の種をまいている。ウクライナもそうだ。そして中国と日本を戦争に巻き込もうとしている。落ち着いてよく考えよう。騙されてはいけない。日本と中国が戦えば、高笑いをして漁父の利を得るのはアメリカなのだ。正確に言おう。アメリカ政府を支配しているユダヤの悪質な大富豪達だ。人を殺して儲けるのは悪魔の所行だ。これを絶対に許してはいけない。

 私の余命は3年〜15年程度だろう。どう生きるのか?と考える。
嘘にまみれた歴史を学び直して、真実の歴史を少しでも周囲に知らしめたい。そしてこの麗しき日本の国を守るための努力をしよう。ほんとうに非力だけれど覚悟を決めて、残る日々を生きていこう。そこにわずかな誇りが持てるように!






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No.159 中村屋のカレーライス

釘無橋「釘無橋」F6

 田舎で子供の頃に食べたカレーライスは、黄色い糊だった。そこにブルドッグソースをかける。半分はソースの味だ。それがカレーライスだと思っていた。インド料理ということすら知らなかった。
 東京に出てきて、新宿の中村屋のカレーライスを初めて食べたのは、いつのことか? 誰と食べたのかも思い出せない。美味しかった。まるで別物だった。それ以後何度か時々思い出したように食べに行った。インド人の写真が2階に掲げてあって、その人が本格的インドカレーを中村屋に伝えたインド独立の指導者だと書かれていた(?)と記憶している。インド独立運動をした人は非暴力主義のマハトマ・ガンジーしか知らなかった。
 なぜ新宿中村屋にインド独立の功労者が関係をしてたのか?中村屋の以下のホームページにそれが詳細に紹介されていた。
 インドは400年間イギリス植民地として支配されて、何度も反乱や独立・抵抗運動があったが屈服していた。大英帝国の植民地のいわば宝石であった。日露戦争の日本の勝利に刺激されて独立運動が活発になったが、マハトマ・ガンジーの非暴力抵抗運動では駄目だと武器を取って独立運動の指導した人が、この中村屋のラス・ビハリ・ボーズであったという。  彼は東洋の日本が白人の植民地支配に立ち上がって闘い始めたことを知って、密かに密航して日本の支援を得るために犬養毅、東条英機、頭山満などに働きかけたという。当時は日英同盟があり英国に追われていた。そのときに中村屋に匿われていたという。その後日本の支援を受けてインド独立軍を創設した。その後継者であったのがセバス・チャンドラ・ボーズだという。同じボーズで紛らわしい。かれも来日して日本の政界に支援を要請している。その後インド独立軍はイギリスに宣戦布告をして、日本軍とともにインパール作戦に参加した。日本の敗戦後インドに戻り、2年後にインド独立を達成した。彼はインド独立の父ネタジと呼ばれているという。
 「連合国戦勝史観の虚妄」ヘンリー・S・ストークス著 祥伝社新書 を最近読んだ。著者はイギリス人でオックスフォード大学を出て、フィナンシャル・タイムズ、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を長年勤めた人である。
 この中に日印国交樹立60周年記念集会での著者の講演「日本はアジアの光だった」の内容があり、インドに関する部分だけを趣旨を違わぬよう少し要約し、以下に転載した。インド独立と日本の関係が詳しく理解できる。

 二十世紀で最も驚くべき展開は、500年続いた植民地支配、その呪いが終焉を迎えたことにあります。白人の支配が霧散してしまいました。誰もが全く予想しなかったことでした。
 1940年代初頭にインドで独立の気運が高まりました。なぜでしょう。答えは簡単です。第二次世界大戦が勃発して、アジアの新興勢力日本が白人植民地支配に痛烈な打撃を与えたからです。インド独立のタイムテーブルは大きく短縮されたのです。
 イギリスは1600年に東インド会社を設立し、植民地支配に着手しました。マドラス、ボンベイ、カルカッタを次々に支配していきました。イギリスの侵略に抵抗して、ブラッシーの戦い、シーク戦争、セポイの乱が起こりました。こうしてイギリスがインドを長期間抑圧する中で、1868年に日本で明治維新が起こりました。ほぼ同じ頃にマハトマ・ガンジー、チャンドラ・ボーズのインド独立の歴史的な人々が生まれました。チャンドラ・ボーズは今でも独立の「偉大な指導者」ネタジと呼ばれています。チャンドラ・ボーズはインド国民軍を創設しました。ガンジーの非暴力ではなく、軍事力でイギリスと戦ったのです。彼は1943年に来日して、島田海軍大臣、永野海軍軍令部総長、重光外務大臣と面会し、さらに東条英機首相と会談をしました。彼はその時に日比谷公会堂でアジア人の気持ちを代弁して講演をしました。
「約40年前、小学校に通い始めた頃に、アジア人の国が世界の巨人・白人帝国ロシアと戦いました。このアジアの国はロシアを大敗させました。その国が日本だったのです。このニュースがインドに伝わると興奮の波がインド全土を覆いました。インドのいたる所で、旅順攻撃や奉天大会戦、日本海海戦の勇壮な話で沸き立っていました。インドの子供達は、東郷元帥や乃木大将を素直に慕いました。親達が競って、元帥や大将の写真を手に入れようとしましたが、出来ませんでした。その代わりに市場から日本の製品を買ってきて家に飾りました」ボーズは「日本はアジアの希望の光だった」とハッキリと語りました。さらに「このたび日本はインドの仇敵のイギリスに宣戦布告をしました。日本はインド人に、独立のための千載一隅の機会を下さいました。我々は自覚し、心から日本に感謝しています。ひとたびこの機会を逃せば、今後100年以上にわたり、このような機会は訪れることはないでしょう。勝利は我々のものであり、インドが念願の独立を果たすと確信しています」


 このチャンドラ・ボーズの先導役をしたのが新宿中村屋に匿われていたラス・ビハリ・ボーズで、かれは中村屋の娘と結婚して、その後日本に帰化したが、インドの独立を見ることなく他界したという。しかも彼の息子は沖縄戦で戦死している。もうひとつ驚くべきは、この本の著者は名門オックスフォード大学卒のイギリス人であることだった。
 日本人は先の戦争の真実を知らされていない。これに関連するユーチューブ「日本人だけが知らないインド独立」を紹介する。
新宿中村屋のカレーのなかにこんな歴史が秘められていた。近いうちに又食べに行こう!






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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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