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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.154 私の絵画作法

公園錦繍クリックで拡大
「公園錦繍」F6 水彩 
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              メール:mwaki@jcom.home.ne.jp


           <私の絵画作法>

  日々去来する様々な感動、それが最も切実な生きる意味なのだから、 より鮮烈に味わい生きていきたい。
 絵はそれを正直に絵日記のように素直に単純に描くだけだ。
 出会った光や風、その中の青い山並や渓流や海、美しい花や女性をひた すらに描く。
  
  感動をどこまで誠実に表現できているか。
  誤差や齟齬は無いか?
  嘘や誇張は無いか?
  打算や過度な自己主張や独り善がりになっていないか?
  人を驚かそう、目立とう、技術をひけらかそう、そんな邪念にとらわ  れていないか?
  個性的な絵にしようなどと思ってはいけない。
  この神の創りたまう大自然の中の渺たる私に、主張するべき個性があ  るなどと思い上がってはいけない。
  ましてや芸術的な絵にしようなどと夢にも思ってはいけない。
  洒落た絵を描こうなどと思ってはいけない。
  新しい画風や技術を編み出そうなどと、ことさらに思ってはいけ
  ない。
  地位や肩書き、権威に依存して素直な感性を歪めてしまっていない   か?
  「王様の耳はロバの耳」になってはいないか?
  新鮮な感動がない同じような絵ばかりを、惰性で描ていないか?

  この世に意味も無く生を受けた悲しい身の私は、後戻りの出来ない
 一度きりの生をしっかりと味わいながら、
 死に向かって歩んで行く。
 今日の感動は今日限りだから、そのかけがえのない感動を一枚の絵に描 く。
 それを十分に誠実に表現できているか?
 その点こそが単純で強固で唯一の私の絵画作法。
 弱く非力な私の最後の砦。




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No.153 岸辺のアルバム

多摩川・拝島橋クリックで拡大
  「多摩川・拝島橋」 P15水彩
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 多摩川はよく描いたが、この「多摩川・拝島橋」が最も下流の絵だ。拝島橋の上から下流の方向を描いたから、遠景に見えるのは八高線の鉄橋である。
 高校2年にの時に父の転勤で東京に移り住んだ。大田区の東急目蒲線の鵜の木駅近くの木造アパートであった。このアパートから南に1キロほど歩くと多摩川の河原であった。不慣れな都会生活と坊主頭の劣等感で軽いノイローゼ気味であった。そして気晴らしに広い河原に良く散歩に出かけた。自転車や散歩中の犬が土手を行き交い、河原で野球の練習をしていた。対岸で練習するトランペットが聞こえていた。土手の近くにある銭湯の帰りは、いつも河原を散歩して帰った。夏になると二子多摩川にある明治大学のプールで泳いだ。
 3年ほどでそこに住んで、それ以後北区西河原、世田谷区上野毛、結婚してからは練馬区鷺宮、そして大田区梅屋敷と転居を繰り返した。上野毛のときも二子玉川によく遊びにいった。
 梅屋敷のときには台風が直撃して多摩川が氾濫した。電車で3駅の六郷土手までその様子を見に行った。
普段は河原の中央に細々とあった川が、濁流になって両岸の土手一杯になって流れ、目の前の物置が見る間に流れていった。その光景はよく記憶している。あのときそこから数キロ上流で多摩川の堤防が決壊して何棟もの住宅が崩れ落ちて流失し、大きなニュースになった。
 その後30年ほどたって「岸辺のアルバム」山田太一著を読む機会があった。多摩川の土手沿いの住宅に住む親子4人のサラリーマンの家族の話である。父親が仕事一途なエリートサラリーマンで家庭を顧みず、母親が不倫をして兄弟二人の子供たちも次第に荒んでいって、家庭崩壊寸前になる。最後に思わぬ台風の襲来で多摩川の堤防が決壊しマイホームが流失してしまう。すべてを失った家族にわずか一冊の泥にまみれたアルバムが残される。仕合せだった頃の写真をみて、もう一度家族がやり直そうと決心するという話であった。
 テレビドラマ化されてこれまでのお茶の間ホームドラマと違い、深刻なテーマを取り上げてあるので話題になった。
思い出の数々ある多摩川下流域もこれから描いてみようかと思う。




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N0.152 世界は金貸しに騙されている

 金貸し業の歴史を調べてみた。貨幣が出来ると間もなく金貸し業は始まったらしい。初期の時代からからそれは卑しい商売として扱われていたという。以下にウイキペディアの内容を一部要約して転載した。

「金貸しは必然的に自然発生した職業であるが、古代から金貸しは反道徳的行為と見なされており、バラモン教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの経典では利息をとる金貸しを批判しているほか、古代中国から古代ギリシャにかけての多くの国家で金貸しは禁止されていた。
ヘブライ語聖書ではユダヤ人への金貸しは奉仕であるべきで無利子と定められていたが、他の人種へは有利子が認められていた。
古代ギリシャや古代ローマのほとんどの哲学者達は金貸しを否定的にとらえていた。
紀元前の共和政ローマの時代には、いかなる利息での金貸しも禁止されていたが、帝政ローマの時代になり規制された利息での金貸しが認められるようになった。金貸しは、殆どが裕福な個人により行なわれており、銀行のような金融業は存在しなかった。当時の利率は年率4–12%、高利の場合は24-48%であった。
帝政ローマ期にキリスト教が普及すると、古代ギリシャや古代ローマの哲学や倫理学に基づく金貸しに対する認識は宗教的なものに置き換わった。
 キリスト教の紀元325年の第1ニカイア公会議において金貸しは神の恩寵(サクラメント)もキリスト教に基づく埋葬も許されない(破門)と定めた。結果としてユダヤ人に金貸しを職業とする者が増えていった。
 7世紀に誕生したイスラム社会ではコーランにおいて全ての金貸しが禁じられている。
中世ヨーロッパにおいてもカトリック教会は利息を取る金貸しを禁止していた。11世紀から13世紀の神学者はそれまで道徳上悪であると見なされていた金貸しを論理的に何故悪いのかを証明しようとした。金貸しは禁止されていた一方で投資は許容されていた。金貸しと投資の違いは、投資は投資先の事業に参加するわけで資金の回収はその事業の結果によるが、金貸しはその意味でのリスクは負わない。
 13世紀のイタリアの神学者トマス・アクィナスは、アリストテレスのニコマコス倫理学に基づき、貨幣は内在的価値を持たないので、それを貸すことにより利益を得てはならない定めた。この思想はトマス主義としてドミニコ会に受け入れられ、16世紀にはイエズス会(サラマンカ学派)に引き継がれた。このトマス主義ではお金を貸すことにリスクが伴うか、貸すことにより逸失利益が生じる場合は利息を取ることを容認していた為、利息の禁止を厳密に運用することが困難であった。17世紀にはプロテスタント各国で徐々に緩和され最終的には撤廃された。
16-17世紀にはカトリック教会の影響力が衰え、各国が絶対王政を確立した。それらの国では国力を競い重商主義を掲げ国富増大に邁進した。それに伴い経済活動も拡大し富の集中が加速され、持つ者と持たざる者の格差が広がった。続く18世紀以降の産業革命では、それまでの地域社会での需給の均衡を大きく凌ぐ生産性の向上が見られ、資本主義が台頭した。この時期になると様々な経済学者により資本や金融に関しての研究が始まり、金貸しについてもそれまでの宗教的・道徳的概念は否定されるようになった。」

 貨幣が生まれて以来長い歴史の間人類は金貸しを卑しい職業として蔑み、つい最近まで世界の多くの宗教でこれを禁じていたのだ。しかし17世紀以降の重商主義や資本主義、産業革命の進展にともなって、金貸しは近代的な金融業として急速に発展して公認された。この時代から蓄積した財とノウハウを持ったロスチャイルドに代表されるユダヤ金貸し業が急速に普及し台頭していった。その結果今の世界の巨大な金融業や企業、政治の大部分は彼らの支配下に置かれてしまった。
 彼らはお金と権力を手に入れるのに手段を選ばない。詐欺のような金融商品を売り、巨額の資金で市場操作しインサイダー取引をして、大儲けをする。戦争を煽り敵味方の両方に融資をして、その上兵器を売って戦争後の復興事業でさらに儲けている。いわゆるマッチポンプである。

 銀行は貧乏人には高利で融資をする一方で、大企業や裕福な人には低金利で融資をしている。不動産を持っている人にはそれを担保に融資をするが、担保のない貧乏人には融資はしない。
 例えば、親から遺産10億円をもらったとする。年利5%で銀行に預金をすると年間¥5.000万円の収入がある。そのうちの¥1.000万を生活費に使い、残った¥4.000万円を預金しておくとする。結局年4%の福利だから10年後にその預金は14.8億円に増えている計算だ。つまり10年間全く働かずに贅沢な暮らしをしても、預金はこんなに増えていく。この銀行制度はおかしくないか? 自由競争というが、大資産家と裸一貫の人が自由競争すればどうなるか、子供でもわかることだ。
 この富の極端すぎる偏在を税制で再配分するのは国家の最も重要な役割である。最近の国家はそれを放棄してユダヤの禿鷹のような金融業者や大企業にあらゆるものを委ねようとしている。これは国家秩序の破滅への道である。
思い出してほしい。「経済」の語源は「経世済民」だという。ウィキペディアを引くと以下である。
 
「經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)とは、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意。
略して「經濟」(経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の用法とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。」


 政治家や経済界の要人、経済学者はもう一度この経済という言葉の本来の意味を心して噛み締めるべきだろう。
 今だって世間では「あいつは金貸しだ」というのは卑しいという意味に使われる。しかし同じ金貸しの銀行が大手を振って今の世を闊歩しているのは変ではないか?高金利のサラ金は大手銀行の高収益源であるという。
 ちなみに、つい最近イスラム国のイスラム銀行は利息をとらずに運営されているのを知った。高利の金融によって国の富を食い荒らされる事態を防ぐためと、コーランの教えを守るという目的で設立され、イスラム国で次第に成長をしている銀行であった。融資を受けて立ち上げた事業で利益を上げると、それを銀行と定められた比率で分配する。損失も双方が負担するという。そして利子はない。機械設備を銀行が購入してそれを事業者に手数料を加算してリースして、その支払いが済むと所有権は事業者に移転するやり方もあるという。
 ユダヤ支配の西欧諸国が繰り返しイスラム国家を攻撃するのは、この無利子金融機関が目障りなのかもしれない。

 最初に富を獲得して強者になったものが、際限なく巨大な資産を蓄えていくのを何処かで歯止めをかけなければいけない。そのために利子を禁止するのは良い方法である。もう一つの方法はお金に利子を付けるのではなく毎年減価するようなものにすることだ。5%ぐらいがよいだろう。すると巨額のお金の蓄積はできないから、お金は市場に出回り循環する。

 いずれにしても富を必要以上にむさぼってはいけない。際限のない欲望は犯罪である。金貸しは恥ずかしいと思うのが健全な社会なのだろう。国際金融マフィアともいわれる金儲けのために手段を選ばない人々を排除しなければ、この世界に未来はないと思う。それを切に願うこのごろである。



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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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