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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.146 感謝祭

 敗戦後の内房の大貫には、木更津米軍基地の軍人が多く住んでいた。私の家の近くの大きな屋敷にも二人の子供のいる夫妻が住んでいた。その同年代の白人兄弟と何度か遊んだ記憶がある。彼らはボクシングのグローブを持っていた。試合をしようということになって、私がグローブを借りて試合をした。そして何度も顔を殴られてあっと言う間に見事にノックアウトされた。殴られるといい気持になるというのをそれで知った。
 秋のある日、招かれてその屋敷に行った。庭の中の草叢や花壇、木の根もとに隠されているゆで卵を探した。そこには奇麗な絵が描かれていた。美味しかった。後からその日は「サンクス・ギブンズ・デイ」というアメリカ人の祝日であると知った。当時ゆで卵は贅沢品で、遠足と運動会の時しか食べさせてもらえなかった。アメリカ人がその日に七面鳥を食べるのを、メイドをしていた近所のおばさんが教えてくれた。感謝祭は豊かなアメリカ人の素敵な祝日であった。
 数日前に、高山正之、日下公人著「アメリカどれほどひどい国か」の中の「メイフラワー号でやってきた清教徒は何をしたか」の章に「感謝祭」のいわれが書かれていた。それを読んで驚いた。
アメリカ先住民(インディアン)が騙され虐殺され、アメリカ全土から駆逐された悲惨な歴史は知っていたが、まさか「感謝祭」がそれを象徴するお祭りであるとは気がつかなかった。
 「上陸した清教徒は良く知られる様に、ワンパノアグ族の酋長マサソイトが恵んだ食料で冬を越しました。これが感謝祭のいわれですが、一見心温まる話には恐ろしい続きがあります。七面鳥で元気になった清教徒らは、酋長が死ぬのを待って、彼らの領土を奪い始める。抵抗した息子は殺され、その首は20年間プリマス港に晒されました。彼の妻子と一族もまとめてカリブの奴隷商人に叩き売られた。」
 これを切っ掛けにインターネットで「感謝祭の真実」で検索をするとTUP・平和をめざす翻訳者たち というブログがあり、その中に詳しい話が書かれていた。ブライアン・ウイルソンというアメリカ人で元ベトナム戦争帰還兵の書いたものであった。
 TPU・平和をめざす翻訳者たち

その大部分を以下に転載した。

 1620年11月、メイフラワー号に乗った清教徒(ピューリタン)たちが、イギリスからアメリカ大陸(マサチューセッツ州プリムス)に渡ってきた。そこで彼らを待ち受けていたのは厳しい冬だった。
そんな彼らに食料を分け与え、カボチャやサツマイモの育て方を教えたのは、アメリカの先住民たちだった。自然と調和しながら生きてきた先住民は、当初自分たちの土地へ突然やってきた人々に敵意を持っただろうが、新しい土地で食べるものにも事欠いていた白人たちの困窮をさすがに見かねて、手を差し伸べたのだ。
 イギリス人たちは、先住民から農作物の種を分け与えてもらい、作り方を教わった。そして、初めて採れた作物を料理して、友人たちとともに神の恵みに感謝した。これが、感謝祭の始まりである。
 最初の感謝祭には、先住民たちも招待された。想像の域を出ないが、この時は先住民とイギリス人は互いに打ち解け、心を許して語り合ったのだろうか。それとも、イギリス人は後に行なうことになる悪行を頭に描きつつ、表面だけ取り繕っていたのだろうか。いずれにせよ、この後、先住民は白人に殺戮され、自分たちの土地を奪われることになる。人のよい先住民は、共に過ごした感謝祭の夜、そしてその後の自分たちの運命を想像することすらできなかっただろう。
 私がアメリカで受けた学校教育では、アメリカ先住民の文化について、ほとんど教えられなかった。彼らの歴史や文化、彼らに対して白人がしてきたことを知ったのは、実はごく最近のことである。新しくやってきた白人たちに、殺戮され、土地を奪われ、居留地に閉じ込められた先住民たちは、アメリカ政府の「同化政策」に服従することを強制された。同化政策とは、彼らから文化を奪うことであり、子供たちは家族から引き離され、国が作った寄宿学校で、西洋の文化やキリスト数的価値観を押し付けられた。もちろん、英語以外の民族固有の言葉は、その使用が禁じられた。
アメリカがイギリスから独立した1776年、独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」と謳ったが、その中に先住民は含まれていなかった。
 学校教育に加えて、ユダヤ系の人々が集まり作り上げたハリウッド映画が「正義の白人と野蛮なインディアン」という図式を喧伝した。西部劇のほとんどは、勧善懲悪のストーリーで、善は白人、悪はインディアンだった。
今だから話せるが、私自身、子供のころはインディアンが怖かった。西部劇に出てくるインディアンは、実に恐ろしい。きつく険しい形相のインディアンが善良な白人たちに襲いかかり、金品を略奪する。
 対する白人は柔和な表情をしていて、穏やかで明るく優しい。絵に描いたような善人だ。荒くれ者の白人が登場する西部劇も少なくはない。白人同士の決闘もあるが、インディアンは常に悪者だ。
その悪者インディアンは結局、白人の保安官か騎兵隊に撃ち殺されたり、捕らえられたりして、一件落着…ほとんどが、こういうシナリオで終わる。幼い私も、この結末にいつもホッと胸をなで下ろした。
 子供のころに受けた教育や映画、テレビの影響は絶大で、私は割に最近まで「インディアン=悪」の図式が、なかなか抜けなかった。こうした西部劇はまさしく劇であり、真っ赤な嘘であることは今や常識である。

 さすがに最近は、このような「白人=善」「インディアン=悪」の映画やドラマが、ほとんど作られなくなったが、イラク侵攻を正当化させるアメリカ政府の論弁を聞くと、かの国の「洗脳工作」は今も健在であることがよくわかる。アメリカ政府のプロパガンダはなかなか優れているから、実は今でも多くのアメリカ人は、今のアメリカの発展が先住民族の「屍の上」にあることを知らない。のみならず、野蛮な文化を終わらせたことを文明の勝利と信じて疑わない輩すら、今も多数存在する。
 先住民族が合衆国市民として認められたのは、1924年。最初の感謝祭から、実に300年以上経ってからだった。その間、奪われた土地や言葉や文化は戻ることもなく、先住民はさまざまな民族の中で、今も最下位の層に位置している。
 歴史書のほとんどは、勝者の都合で書かれる。アメリカ先住民の土地を略奪し、無実の彼らをことごとく殺し尽くしても、白人にとってそれは未開を文明化する正当な行為であり、進歩であり、正義だった。

 アメリカ人は「感謝祭」で神に感謝するのか? 真に感謝すべきは先住民にたいしてではないのか?ここにも白人キリスト教徒の異教徒や他民族への差別と蔑視が見て取れる。




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No.145 洗脳優等生

(1)右翼と左翼とは
 右翼、左翼の起源はフランス革命のジャコバン党とジロンド党に由来する。急進改革派と穏健改革派であり、議会の左側と右側に分かれていたところからそう呼ばれた。フランス革命は1800年ごろのことだから、今から200年以上も昔のことだ。
 日本の政治を語るには今もこのカビの生えた言葉が欠かせない。いわば保守、革新なのだけれどこの言葉ほど手垢まみれで歪んだ言葉はないのではないか?善か悪か。白か黒か。丁か半か。敵か味方か。男か女か。政治の世界が丁半ばくちで語れると思うほど幼稚で危ないことはない。
 右翼というと「保守的でいかがわしい支配者層」というイメージが拭えない。保守主義、民族主義、国粋主義、国家主義、軍国主義である。日の丸と旭日旗と街宣車で極端で過激な行動をする人々もいる。
 一方の左翼は「革新的で民主的な市民」というイメージである。革新主義、自由平等、男女同権、人権擁護、博愛主義、反戦主義、国際主義である。極左は暴力革命を主張して東大紛争や成田闘争、浅間山荘事件などの極端な暴力事件を起こした。
 私はどちらかと言えばもちろん左翼であった。護憲派で非武装中立が良いと思っていた。自由主義、民主主義の信奉者であった。そして右翼と言われる人々を嫌っていたし警戒していた。むろん右翼的な臭いのする本は鼻から読まなかった。軍部と財閥が無謀な侵略戦争に国民を巻き込み、300万人の犠牲者を出して敗戦した。その専制的な体制を生み出した日本と言う国家の土壌を嫌っていたのだ。

(2)戦後生まれの洗脳優等生
 私の知人に昔の革命思想の活動家がいた。彼は内部の激しい総括によって発狂して精神病院に入院した。それが原因でその後革命家を止めて会社も退社した。私はその後30年以上も彼とつき合っていたが、いつも支配者か被支配者かという発想で人を批評して断罪した。支配者や資本家は敵だと言う。その彼は退職以来母親が残した貯金とアパートの家賃収入で暮らしていた。彼は人を断罪する時にいつもあいつは「プチブル」だと言う。ある時に私が「おまえ、働かざるもの食うべからずじゃないのか?プチブルはお前のことだよ」というと目を丸めて私を睨んで顔を赤らめた。しかし暫くするとすぐに忘れて同じことをした。彼の洗脳は深い。同世代の私も程度の差はあれ同じであった。 
 私も彼も戦後生まれである。映画はアメリカの西部劇やフランス映画、イタリヤ映画であった。西部劇で凶暴なインディアンが幌馬車を襲ってあわやという時に、騎兵隊が駆けつけてくる。興奮して皆で拍手した。音楽はジャズ、アメリカンポップス、テレビはアメリカの素敵なホームドラマだった。明るく豊かで自由な西欧社会が脳裏に焼き付いている。映画「戦場に架ける橋」のテーマソングは今でも記憶している。
 学生時代の混声合唱団で歌うものは、ミッチミラーやウエストサイドストーリの主題歌、賛美歌、美しき青きドナウ。新入社員時代は歌声喫茶でロシア民謡を歌っていた。このイメージは左翼のイメージと一緒だ。
私は世界史が好きだった。「大航海時代」は夢とロマンに溢れていた。コロンブスの新大陸発見や十字軍の話も胸躍るものであった。
 その対局に暗くて悲惨で暴力的な戦前の日本の社会や戦争がイメージされていた。戦争映画には上官が理不尽に部下に暴力を振るうシーンが必ず出てきた。そして彼らを無謀な戦争に追いやり「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と玉砕を強いた。五味川純平原作の映画「人間の条件」の暗い悲惨さは脳裏に焼き付いている。日の丸と旭日旗が一緒である。
 また江戸時代の暗くて沈滞した封建社会を描いた映画やテレビドラマをも多かった。「百姓は生かさず殺さず」そして悪代官と結託した悪徳商人が必ず出てきた。これが個人を圧殺して犠牲にする社会や国家のイメージと重なっている。正にこれは右翼のイメージなのだ。だから私達の世代は日の丸を嫌い「君が代」を歌わない人が特に多い。そして大部分は平和憲法の信奉者である。

(3)幼稚なレッテル
 しかし最近はおかしいと思っている。世の中には程度の差はあるが支配者と被支配者は必ず存在する。完全な平等はむしろ社会を不安定にして危険だ。守るべき大事なものもあれば変えなければいけないものもある。自由や権利は制約と義務との相対的概念でしかない。男女同権も生物的な差は明らかであって一律にはいかない。また個人の身の安全は一人では守れない。国の法律があり警察が存在し、さらには国家を守るべき軍隊があってはじめて守れる。しかしだからといって個人を犠牲にして良いのか? そうではない。国も結局のところ個人によって成り立っているのだから。
 反戦主義は論ずるまでもない。戦争が好きな人はいない。誰だって嫌だ。しかし現実の世界の歴史は戦争の歴史だ。侵略し侵略されて今の国境があるだけなのだ。反戦一辺倒では国は守れないし、軍事力一辺倒でも危ういのは歴史が示している。
 こうして少し考えて整理しただけで、右翼や左翼のレッテル貼りが如何に幼稚なことであるかすぐに理解できる。同じ様に、西欧の文化や歴史が進歩的で素敵なもので、日本の文化や歴史が暗くて遅れているというのも、おかしいのだ。欧米の戦争は正しくて、日本の戦争は罪であるというのも同じだ。
 人も政治も世界も想像を超えて複雑精妙で、単純な白か黒で論ずるほど愚かなことはない。しかし戦後世代の私達はこの二項の対立の概念にひどく捕われている。なぜなのだろう。

(4)アメリカの日本洗脳計画
 話題の孫崎享著「戦後史の正体」で知ったのだが、GHQは7年に及ぶ占領期に徹底した言論統制をしたという。元註タイ大使の岡崎久彦氏の証言をのせている。
「占領軍の検閲は大作業でした。その為には高度な教育のある日本人5千名を雇用しました。預金封鎖がありどんな金持ちでも月に500円しか出せなかったのに900円ないし1200円の高給が支払われていました」そしてその言論統制は極秘になっており、その5千人もの文化人が誰であったのかも全く不明という。個人の手紙も数千万通が開封されていたと言う。その後この謎の5千人の日本人はマスコミや出版社、大学教授等になって日本社会の隅々に浸透して行ったという。GHQは連合国欧米の批判は一切許さず、その文化のイメージアップを計った。その反面、日本の戦争の不当さと残虐さを誇大に宣伝させそのイメージダウンを奨励したのだという。
 最近知ったのは「WGIP」だ。「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の略で戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画である。
 これを元にGHQは日本占領管理政策を行ったという。評論家の江藤淳氏は著書「その閉ざされた言語空間」の中で
日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で開始し、日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。そしてこれにより日本における伝統的秩序破壊のための永久革命の図式が成立し、以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない。
と彼は指摘しているという。また、
「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、国民に対する罪を犯したのも、現在および将来の日本の苦難と窮乏もすべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。
としている。
 あの「南京大虐殺」はこの「WGIP」のメインテーマで全くの捏造であったという。単なる私の憶測なのだが、これを最初に記事にした朝日新聞の本田勝一記者はあの謎の日本人5千人の1人であったのかもしれない。

 連合軍司令長官マカーサーの米国議会での証言も、あの戦争での日本の立場を明快に指摘している。以下のユーチュブを是非見てほしい。
 この解釈は賛否あるのだけれど、先ずは双方の主張を知ることが大事であると思う。特に左翼的な知識人は右翼的とレッテルを貼った書物を読まないし彼らの主張に全く耳を貸さない。イメージに捕われて毛嫌いしている幼稚な子供に等しいと思う。それゆえに極端に知識が偏っている。
何を隠そう私がそうだったのだ。



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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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