FC2ブログ

脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

No.91 独楽

菜の花の丘「菜の花の丘」F6

 これまでの過ぎ越した日々を振り返ってみると、ゆったりと寛ぎ過ごしたという印象は、ほとんどない。いつも何かに熱中し、あるいは追われ、そして悩み苦しんでいたと思う。今も例外ではない。それらは取り立てて言う程のこともない、些末なことかも知れない。重大なことのようにも思える。そして日々の雑事に追われて、あたふたと過ごすうちに、時は容赦なく過ぎて行く。
 それらからすっかり解放された日々を過ごしてみたいと、時折無性に思うのだが、それが如何に難しいか? 又、悩みや苦しみや焦燥やいらだちが、料理の薬味のように日々の味わいを深めてくれてはいないか?と思ったりもする。そう、案外こうしてじたばたとしている方が、元気でいられるのかも知れない。コマは廻っているうちは倒れはしないものだ、と自分に言い聞かせている。鞭打たれて一層早く廻りだし、元気にもなる。
 それにしても「独楽」と言う字は面白いなと思う。人生は独楽なのだ。
 山本周五郎の「青べか物語」の最後の締めくくりに、ストリンドベリーの章句が記されている。
「苦しみつつ、なおかつはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」



スポンサーサイト
このページのトップへ

No.90 嘉吉と音松

月光挿絵


 7月の海は強い陽射しの中で、きらきらと輝いてゆったりと静かに佇んでいた。空気は熱く乾燥して、海水は冷たく澄んでいた。長い間泳いで冷えきった体を温めようと、太一と芳夫と浩一の3人は熱い砂を掘っていた。
少し離れてその三人を見ていた嘉吉が近づいてきて、「二人漕ぎのボートを一日借りるんだ、つきあってくれ」と声をかけてきた。相手が自分だとは、太一は気付かなかった。三人が砂を堀るの止めて振り向くと、「な~、ボート乗りたくないか?」と太一の顔を覗き込んだ。白い開襟シャツと暗いくすんだ色の背広を着て、黒の磨き上げた革靴を履いていた。髪はオールバックで油で光っていた。一年下のクラスの音松の三歳上の兄だった。去年東京へ集団就職していたはずだった。
「一緒に上総湊の海水浴場まで行こう。向こうで何でも奢ってやるからさ」太一は何で自分が誘われたのか訝ったが、ラーメンやかき氷が食いたかったので「いいよ」と答えて内心すぐに後悔した。嘉吉を良く知らなかったからだ。音松も仲間はずれで、いっしょに遊んだことはなかった。それに上総湊は内房線で二駅先で遠かった。
 翌日も朝から晴天であった。海の家の前で落ち合った。嘉吉は今日は海水パンツとランニングシャツだったが、頭はオールバックの侭で、面長のすこし内向した男前の顔に良く似合っていた。
 貸しボート屋の親爺は歯抜けの坊主頭で、そこに白髪がカビのように生えている。銜え煙草で「丸一日借りるんかよ~、そんじゃ先払いしてもらうぞ」とふにゃふにゃと喋った。口先でタバコが危うく落ちそうに上下に揺れた。しわくちゃの顔は海岸の流木のようだ。嘉吉は巾着の中から黒革の財布を出して、数枚の百円札を指に鋏んで「釣りはやるよ」と親爺に渡した。その恰好でスバル座で見たやくざ映画のワンシーンを思い出した。
 親爺は道具小屋から担いで来た四本の太いオールを、ボートの中にガラガラと音をさせて、無造作に投げ込んだ。「五時までだからな」と嘉吉に向かって念を押した。

 冷たい浅瀬に二人でボートを引きずり、それが浮き上がると、太一が前に乗りオールを持った。嘉吉は「波に向かってまっすぐいそいで漕げ!」といいながら後ろからボートを押して、急いで飛び乗った。
 海は凪いでいた。オールが海面を叩く音と、ボートが水をかき分ける音が、耳に心地良く響く。対岸の三浦半島とそこに行き交う貨物船が、ブルーのシルエットになっている。頭上の青い空に夏の陽が燦然と輝いて、太一はうきうきとした気分であった。海岸はいつの間にか遠くなって、海の家も小さくなっていた。そうだ、俺はボートに乗ってこんな沖合に来てみたかったんだ、と思った。二人で呼吸を合わせて漕ぐと、ボートは軽やかに海面を滑る。
 磯根崎を回り込むと、東京湾口の遥か南に伊豆大島が水平線上に横たわっていた。磯根崎から東に連なる崖が見えて来た。その先に上総湊の家並が霞んで見える。随分と漕いでいたが、嘉吉も太一も余り話をしなかった。太一は2年も上級生の嘉吉に気後れがあったし、音松ともあまり付き合いがなかった。太一は泳ぎが得意で仲間内に知れていた、ボートも自在に操れたから、嘉吉に誘われたのだろうと思った。ボートは一キロ程の沖合を崖に沿って南下した。だから後ろ向きでも、方向は間違うことはなかった。
 嘉吉と音松の家は砂利道の駅前通りに面した自転車屋だった。錆びたトタン屋根に覆われた暗い土間の作業場があり、その入り口の右側に数台の中古自転車が置いてあった。薄汚れたガラス戸に、大貫サイクルという文字がなければ、知らない人は誰もここが自転車屋と気付かないだろう。暗い作業場の中では、時折嘉吉の父親がパンクの修理をしていた。色黒で痩せており、無口で、目だけが異様に目立つ陰気な感じであった。 そこから南に一キロ程の中心街には、新品を並べた自転車屋がある。しかし太一の父は錆びた中古の自転車をここで買い、それに乗って毎日工場に出勤していた。父は倹約家だったから、安い中古を買ったのだ。赤錆だらけの中古自転車は、ペダル一回転ごとにキーキーと甲高い金属音を発していた。夕方その音が聞こえると、暫くして父が帰宅した。太一はパンクの修理に行く父に、何度か付いて行ったことがある。嘉吉の家にはいつも女のいる気配はなかった。
 太一がロープウェイの組み立てキットを買って、苦心して作ったことがあった。縁側の柱の間に傾斜させて張った凧糸にそれを吊るして、スイッチを入れると、それが唸りながら登って行く。近所の遊び仲間が入れ替わりに、大勢見にやって来た。
 ある日突然、音松が庭先に訪ねて来た。黒ずんだ何色だか分からない半ズボンをはき、汚れたランニングシャツ一枚であった。坊主頭の日焼けした汚れた顔で、太一の顔をじっと見つめて、いきなり握りこぶしを前に突き出した。「あのロープウエイを俺に売ってくれ!」とくぐもった声で言った。太一はびっくりして、どうして良いかわからずに黙っていた。すると音松は握りこぶしをゆっくりと開いてみせた。しわくちゃの百円紙幣がそこにあった。大金だった。音松はどうだというような顔で、太一を睨んでいた。太一はそれをじっと見ているうちに、何だか不愉快になって、「駄目だ!」と自分でも思わぬ大きな声を出していた。
 音松は一瞬ぽかんとした表情をして、すぐにその顔を醜く歪めた。突き出した手をおずおずと引っ込めて、半べそのような奇妙な顔をして、うなだれて帰って行った。

 オールを漕ぎながら、その時の嫌な気持ちを太一は思い出していた。そして音松のあの金は嘉吉から貰った金だと、ふと思いついた。突然後ろで嘉吉が歌を歌い出した。「鳶がくるりと輪を描いた~」、と一小節を歌って「俺は歌手になるんだ。いい先生がいてな、そこに通ってるんだ」と言った。太一は黙っていた。「一度声を潰すんだ。そうしないと駄目なんだ」そうしてまたさっきの三橋美智也の歌の続きを、大声で歌った。
 強い陽射しが頭上から降り注いでいた。二人とも全身から汗を噴き出して、ひたすら漕いだ。上総湊の海岸が、いつの間にか大きく見えて来た。
 その海水浴場の沖合まで来ると、嘉吉と太一は交代でボートから海に飛び込んだ。全身汗まみれで湯たんぽのように熱していた体は、ひんやりとした海水で一気に冷やされ、太一は快感で思わず「うお~!」と声を上げた。
 浜に上がると嘉吉は一軒の海の家を指差して「太一、何でも好きなものを食え」と旦那や庇護者のような鷹揚な顔付きをした。二人で大盛りラーメンと今川焼、それと真っ赤なかき氷、三ツ矢サイダーをすっかり平らげた。それから二人ならんで砂浜に仰向けに寝そべって、真っ青な空とギラギラと光る太陽を見ながら、昼寝をした。あいかわらず、必要なこと以外は互いに殆ど喋らなかったが、奇妙な一体感の中で二人は充足していた。
 帰りの道のりは遠かった。太一は両腕がだるくて、両方の手のひらの指の付け根が、赤くなって水ぶくれが出来ていた。嘉吉も何も言わずのろのろ漕いでいたが、気怠そうな顔をうつむけていた。午後の海は相変わらず凪いでいたが、潮が逆流しているのか、疲れたからそう感じるのか、ボートは漕ぐ程には一向に進まなかった。太一は時々両手を休めて嘉吉に気付かれないように、海水で冷やした。塩がしみて酷く痛んだ。漕ぐ手を休むと、ボートは沖に流されて行くのがわかる。五時までに帰り着けるか不安になった。磯根崎近くにたどり着いた頃、太陽は赤みを帯びて大分傾いていた。
 突然「もう駄目だ!」と嘉吉が仰向けにボートに倒れ込んだ。太一も大分前から何度も音を上げそうになっていたから、救われた思いでオールを投げ出して、ボートに倒れ込んだ。もうどうにでもなれ!と二人は長い間そうやって波に揺られていた。やがて起き上がると「もう五時は無理だな。ゆっくり行こう」と嘉吉がぼそっと言った。
 すっかり陽が落ちて夕闇が迫ってきた。疲れ果てた二人がのろのろと漕ぐボートは、ようやく磯根崎の沖合を回り込んだ。大貫漁港の灯が見えたので、二人は緊張と不安から解き放され、やっと周りを見る余裕ができた。東の空高く嘘のように大きな満月が、宙に浮いて輝いていた。海面は満月や漁港の電灯や沖合の漁り火を、鏡のように映していた。オールを水に静かに差し込むと、どれもが一斉にゆらゆらと気怠く揺れて歪んだ。漕ぐのを止めると、また元の形に戻った。二人のボートは月明かりの海を、ゆっくりと静かに滑っていった。
 漁港を過ぎて、岩瀬川の河口に入った。満潮の河口の水面は暗く、その中をボートは静かに滑って行った。やがて二人がオールを水に差し込むと同時に、突然滝のような音がして、青くきらきらと輝く小さな無数の月光にボート全体が包みこまれた。辺り一面の暗い水面が青い光のシャワーに覆われた。二人は息を飲んで、それに見蕩れた。その光はすぐに消えて、また嘘のような月明かりの静寂になった。夢かと思う間もなく、またふたたび滝のような音がして無数の青い月光の中に、ボートは包み込まれた。二人が呆然と見蕩れている間に、何度かそれを繰り返してようやく止み、太一と嘉吉は前よりも一層深い静寂の中に、取り残されていた。その幻想から目覚めて、ピチピチと音のする暗いボートの底を見ると、数十匹のイナが跳ね回っていた。

 その後暫くして、太一は母に頼まれた手紙を駅前のポストに出しに行った。帰りに回り道をして自転車屋の前を通った。そこは奇麗に整地されて見慣れない裏の畑や松林が見えていた。自転車屋は跡形もなかった。嘉吉と音松は姿を消し、二度と太一の前に現れなかった。
 父はそのことは何も言わなかったし、母も姉たちも何となく触れるのを避けていた。太一も聞かなかった。町の噂も聞こえて来なかった。
 あんな美しい月明かりの海を見る機会は、それ以来訪れなかったから、彼らの面影とその時のやるせない気持ちは、すっかり太一の記憶の彼方に埋もれてしまった。


このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



<br /><BGSOUND SRC="http://blog-imgs-24.fc2.com/s/e/i/seifu/koi.mid" width=80 height=20 autostart=true repeat=true loop=true><br />
※このブログ内の文章及び画像の無断転載を禁止いたします。 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。