脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.84 あてどない旅

河門3 河門市の運河:利根川の何倍もの水量


「知らない町を歩いてみたい、どこか遠くに行ってみたい」というのは、永六輔作詩、中村八大作曲の歌であったか。誰しも煩わしい浮き世のしがらみを離れて、ふらっとあてどない旅に出てみたい、と憧れる。目的地を定めず気の向くままに。
 しかし、これは相当難しい。一人で気儘なスケッチ旅行に出かけようと思いたつ。先ずは日程を決めなければならない。仕事や他の約束が入っていない日を、あれこれやりくりして選ぶ。目的地は観光案内や旅の雑誌等を見たり、人に聞いて探す。現地までのルート、所要時間を調べる。宿を選んで予約する。会社勤めの時は休日に出かけるので、一人の場合は断られることが多い。日曜の夜なら大丈夫と分かってからは、月曜日に休暇を取って一泊で出かけることにした。しかし、予期せぬ仕事のトラブルや緊急会議があると、流れてしまう。
 困るのは天気である。これも全く儘にならない。全て準備し勇躍でかけて、雨に降られるのは辛い。費用だって馬鹿にならない。
 結局は気儘なはずの一人のスケッチ旅行も、あれこれと下調べをし面倒な雑事を処理して出かけるしかない。その結果、巷間良く知られた観光地や、風光明媚なところを巡ることになりやすい。これはこれで良い旅もあるけれど、もう一つ何かが足りないと思う。それは、意外性と驚きと新鮮さだろうと思う。
 とはいえ、全く知らないところには、出かけようもない。だからといって事前に調べ過ぎるのも新鮮さを失う。行き当りばったりというのは、相当に難しい。だからロマンチックな歌になるのだろう。浮き世に住む身には所詮望めそうにないから、なるべく時間に余裕を取って横道、裏道、回り道を探し歩く。名の知れた観光地を少し外して、その近くを巡るのが秘訣だ。
 仕事や用事があって旅に出るときは、意外に新鮮で新しい発見がある。旅行目的では行きそうにない場所に行くからだ。
 サラリーマンの晩年に、中国の珠江を遡ったところにある江門市に出張した。

現地で生産していた製品のトラブルがあり、開発責任者として否応なく行くことになった。子会社の香港駐在員の案内するままに、付いて行った。初めての中国であった。問題の解決が長引いて、結局二週間も滞在することになってしまった。連日の残業と休日返上で、ホテルと工場を往復する日々であったが、何もかもが新鮮な驚きの連続であった。
 僅かな仕事の合間を縫って、香港で購入した葉書大のスケッチブックを片手に、見知らぬ異国の町をさまよった時の感動は、忘れ難いものだった。

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No.83 描けない山

阿弥陀岳「阿弥陀岳と赤岳」 F6


 山は絵になるので、随分と描きに行った。近くは日帰りで奥多摩、奥武蔵、奥秩父、上州の山々、もう少し足を伸ばして一泊二日で行ける範囲の浅間山周辺、南アルプス、中央アルプス、北アルプスなどを描いた。しかし中には何度描きに行っても、なかなか良い絵が描けない山がある。
 谷川岳もその一つだ。マチガ沢や一の倉沢の出合からは、迫力のある絶壁と双耳峰が見上げるように聳えている。しかしそれを絵にすることは難しい。あまりに近く視界一杯に聳えているから。4度程描きに行ったが、上手く描けなかった。湯檜曽川の対岸の山に登ると良いと思うが、簡単に行けそうもない。昨年の5月に水上近くの丘に、谷川岳を一望出来るポイントを見つけたが、少し遠すぎて山の形もバランスが悪い。結局谷川岳は、いまだに良い絵が描けていない。
 もう一つ描けない山がある。それが八ケ岳である。初めての一泊スケッチ旅行が八ケ岳であった。28年程前のことだ。所属していた水輪会という水彩クラブのメンバーと、指導者であった日水会の加藤隆輔先生と一緒であった。このときも山は雲の中だった。なによりも未熟であった。その時の3号の淡彩スケッチが一枚だけ残っているが、それも山麓から東の甲州の山々を描いたものだ。その後4~5回は行ったが、やはり描けていない。山麓の絵はあるのだが。 かろうじて6号サイズの編笠岳の絵だけが、一枚残っている。
 北の稲子湯温泉に泊まりがけで行ったこともある。そこでも良いポイントを見つけるのが難しかった。帰る頃になってようやく、天狗岳の山体が一望で、前景も変化のある場所が見つかった。しかし描く時間はすでになかった。去年の夏にも、主宰する木曜スケッチ会で野辺山に行ったが、山頂は終日雲の中であった。夏は晴天でも、山頂に雲が湧くことが多いらしい。
 八ケ岳はなだらかな裾野を引いて、その上に幾つもの峰が集まっている。赤岳が主峰と言われるが、多くの峰の一つにしか見えない。絵にすると散漫になりやすい。それに小海線のある東側は午後は逆光になる。
 先日スケッチ会の下見で蓼科山に行った。その折に八ケ岳の西側の山麓を車で走った。その時にこちら側の方が、ずっと眺めが良いことに気付いた。改めて描きに出かけて、2枚描いた。西に遮る物がなく、陽が遥か北アルプスに落ちるまで明るい。唐松の紅葉が美しかった。




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No.82 夢と幻

都幾川の民家 「都幾川の民家」F8


「人はパンのみにて生きるにあらず」という。しかしパンなくしてはまた生きられない。私も長い間、その狭間で足掻いてきた。
 若い頃の自分に、パンではないものがあったか? 語るべき夢や目標があったか、はなはだ曖昧である。学生時代はむろん就職し結婚して以後も、主体性もなくただ目前の勉強や仕事に、追われていたばかりであった。34歳の頃に絵を学び始めて、ようやく自分なりの夢らしきものを持ったといえる。
 それから30年後の今、その夢が、随分と矮小化し色褪せたが、現実になっている。確かにこの夢なくしては、ここまでの永い歳月を、生きて来れなかったろうと思う。
 そして今、時々ふと途方に暮れている自分を知っている。しかし、にもかかわらず、今も何かが私を支えている。なんだろう? 夢とか具体的な目標ではない、何か? 
 そう、「まぼろし」なのかも知れない。心をとろけさせる美しい魅惑的な光景、私の中のまぼろしの桃源郷。あるはずはないと思いながら、しかしなぜか心の片隅でいつも期待している。いつかそれを描こう。



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No.81 信州飯田

 知り合いの篤農家から野菜を頂いた。蕪と里芋と大根、それにキャベツである。どれも取れたてで、見るからに健康そうである。以前にも一度頂いて、その美味しさを知っている。特にキャベツは大きくて艶があり、瑞々しい。
 このキャベツを見て、若い頃に仕事で出かけた信州の飯田を思い出した。そこで「おたぐり」なる物を良く馳走になった。モツ焼きである。様々なモツが小鉢に放り込まれており、それを熱い鉄板で焼いて、タレを付けて食べる。別に大きくちぎられたキャベツが、無造作に皿に山盛りになっていた。他に野菜はない。焼いて食べるのかと思っていたら、同席の人たちは生のまま手でつまんで齧っている。見倣って焼いたモツを食べながら、このキャベツをバリバリ齧ると、何ともイケル。爽やかで甘みがあって、濃厚なもつ焼きと良く合う。これ以後病み付きになって、出張で飯田に行く度に食べた。後で知ったのだが「おたぐり」というのは、お腹からモツを「手繰り出す」が語源だそうだ。
 五平餅も忘れられない。中央アルプスの山麓を少し登ると、佐倉宗五郎神社がある。そこに茶屋があり、五平餅を初めて食べた。胡桃と味噌のタレと、そこに添えられた山椒の香りが調和して何とも言えず旨かった。ここへも何度も通った。最近の高速道路のサービスエリアで売られている物とは、似て非なる物だ。
 飯田でもう一つ連想した。「文七元結」である。何故それを連想するのか、どういう意味なのか、よく分からない。とにかく飯田と聞くと連想する。この際忘れないうちに調べようと思いついた。早速インターネットで検索して、40年振りに謎が解けた。
 文七元結とは、本来は髪を縛る紙紐のことを言う。それ以前は麻紐を使っていたが、江戸時代に和紙で作られた丈夫な紐に置き換わったという。明治維新以後はちょんまげが無くなり、祝儀袋を飾っている水引が主な用途になった。この文七元結、水引の全国一の産地が飯田であった。今でも70%は飯田産であると言う。だから飯田の何処かに碑でもあって、市内をぶらついていて、それを読んだのかも知れない。40年程前のことだ。
 別に「文七元結」という落語の人情話がある。幕末に三遊亭円生が作ったものだ。歌舞伎や映画にもなっているという。
 鼈甲屋の手代文七が、水戸屋敷から頂いた代金50両を掏摸に取られて、大川に身投げをしようとする。そこへ通りがかった博打好きの左官が、引き止めて50両を貸してやる。娘が父を諌めるために、自ら吉原に駆け込んで得た金である。文七が鼈甲屋に帰ると、水戸屋敷に忘れてあった50両が戻っている。結末は、文七が元結屋になり左官の娘と所帯を持って、めでたしめでたしとなる話である。
 馬刺を初めて食べたのも、飯田だったかも知れない。その後絵を描くようになってから、同じ伊那谷の駒ヶ根にも良く出かけた。知人の山荘にお世話になった。自炊なので町に買い出しに行くと、肉屋の店頭に馬肉が並んでいる。これを買って帰り、醤油にショウガとニンニクをすり下ろしたタレで食べた。歯ごたえのある赤肉である。これは富士山麓の吉田でも良く食べた。
 東京では何所の肉屋を探しても、馬肉は見つからない。居酒屋のメニューで馬刺を見つけて、何度か注文して食べたが、出てきたのは柔らかい霜降り肉で高いばかりで、別物であった。



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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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