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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.68 イノシシ

二子山遠望


 秩父盆地を過ぎて赤平川を西にたどると、国道は奥深い山中に分け入る。その最奥部の長野県との県境近くにある志賀坂峠を挟んで南に両神山、北にこの二子山がある。
 ここは何度も絵を描きに来たが、山深いせいか、良いスケッチポイントは数少ない。その数少ない二子山のポイントの一カ所がここである。7月頃であったか。深閑としたなかで一人で描いていると、すぐ背後の薮の中でがさごそと音がした。風かと思ったが少し変だ。そのまま描いていると又音がして、同時に豚の様な鳴き声がした。イノシシだと思った。じっと息を殺していると、やがて静かになった。私の気配に驚いて逃げたのだろう。あらためて背後の畑を見ると、イノシシに荒らされて、まるで鍬で掘り返したように見える。
 一人で絵を描くときは、野生動物に良く遭遇する。イノシシ以外にはオコジョ、野兎、キツツキなどである。猿や日本カモシカも見かける。
 その昔、南アルプスの聖岳の麓の村の民宿に一泊して、山中で絵を描いていると、10mほど先の林道に何やら動いているものがある。何だろうと思い静かに近づいてみると、犬ほどの大きさのイノシシの子供である。奇麗な縦縞で敏捷に動き回り、餌を探しているようだ。可愛らしい。もうすこし近づこうとして、待てよ?と思いついた。親が近くにいるはずだ!慌てて道具をトランクに投げ入れて、車の中に避難した。その物音で瓜坊は何処かに姿を消していた。
 翌日、キツツキがすぐ近くの大木にとまって、激しく木屑を周囲にまき散らした。4~5mの近さであった。残念だけれどそれが熊ゲラなのか、小ゲラなのか私には見分ける知識は無かった。
 何故か野生動物に出会うと、ほっとして嬉しくなる。世界は人間過剰だからか?
とは言え、毒蛇や毛虫は余り嬉しくない。勝手なものだと思う。


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No.67 夢まぼろし

「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり」

 大昔のNHKの大河ドラマ「太閤記」であったと思う。本能寺で高橋幸治扮する織田信長が、明智軍に包囲され死を覚悟し、白装束で扇子を手にして、これを謡いながら舞ったのである。強く印象に残って記憶していた。
 この謡の正確な意味を知ったのはずっと後であった。これは室町時代に幸若丸という人が創設した、幸若舞の敦盛の一節であった。その中の下天とは、人間の住む現世を意味するのかと思っていたが、違っていた。
 仏教では全世界は欲界、色界、無色界の三界よりなると考えられている。「子は三界の首枷」「三界に家無し」などというのもその三界である。その三界の最下層の欲界はさらに六天に別れていて、その最下層が下天で四王天といい、そこでの一日は人間界の五十年だという。
 だから俗に約すれば「人の一生なんて、下天の一日にも満たない儚いものだ」ということになるらしい。
 室町時代は戦国動乱の前期であり下克上の争いや戦が絶えず、世の中が乱れに乱れていた。死は日常であり、誰もが明日の命は知れなかった。
「何せうぞ、くすんで、一期は夢よただ狂え」
「憂きもひととき、うれしきも、思いさませば夢そうろうよ」
などという唄も流行っていたという。

 想えばこの欲界の最下層の更に下で、長い人生を過ごしてしまったけれど、あっという間であった。つくづく「夢まぼろしのごとくなり」だと思う。今は人間八十年だけれど、大した違いではない。
「何せうぞ、くすんで、一期は夢よただ狂え」
が身に滲みるこのごろである。
 今年は狂いついでに、下町の旨いものを食い歩こう。新緑の輝く5月には気侭なスケッチ旅行をしよう。夏になったら、ぎらぎらと陽射しの照りつけ蒸せかえる緑の中に、思い切り身を浸そう。そう、もう残された時間は少ないのだから。



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脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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