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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.66 珈琲談話(3)

 自家焙煎工房「アイボリーノブ」に通い出してから、一年程かけて多くの銘柄を順次味わった。
 最近物忘れがはげしくなったので、その全部の銘柄はもう記憶していない。思いつくままに上げれば、モカマタリ、モカシダモ、ザンビア、キリマンジェロ、ブラジル、ハワイコナ、コロンビア、ガテマラ、エルサルバドル、ブルーマウンテン、クリスタルマウンテン、パプアニューギニア、マンデリン等であった。聞いた事もない銘柄も試飲させてもらった。
 当然ながら味や香りがそれぞれに違う。そして私が最後に腰を据えたのは、パプアニューギニアである。少し酸味がありコクもある。あまりクセのない味だけれど何と言っても、その香りが抜群である。焼き上がった豆はもちろんだけれど、それを挽いてもらうと、そのセクシイな甘い芳香が工房の中に充満する。帰りの車の中もその香りで一杯になり、私はしあわせな気分に浸る。

 ニューギニアは赤道直下の未開の巨大な島で、その東半分がパプアニューギニアである。ドイツとイギリスの植民地を経て今は独立国である。西半分はインドネシヤ領になっている。太平洋戦争の時には一時日本軍が占領した。しかしガダルカナルの敗戦で制海、制空権を失って補給を断たれた日本軍は、連合軍に追われて無謀な行軍をし、餓えとマラリヤで悲惨な結果を招いた場所でもある。その記録を読んだことがある。
 日本軍は広大な熱帯の密林の中を飢えとマラリヤに悩まされて行軍し、やがて標高4,000mにもなる険しい脊梁山脈を越える。その山頂付近の高原で多くの凍死者を出したと言う。従軍して生還した人が書いた本であった。著者も本の題名も今は思い出せないが。
 またここは人食い人種がいるというので、知られているところである。私はおもしろ半分で半信半疑だったのだが、その実情をつい数年前にアメリカ人のリチャード・ローズ著「死の病原体、プリオン」と言う本を読んで知った。食人習慣のある原住民の奇病を研究し、ついに狂牛病の原因であるプリオンの存在を解明して、ノーベル医学賞を受賞する研究者たちとその戦いを描いたドキュメンタリーである。食人は原住民の間では1960年頃迄続いていたと言う。そこには食人のやり方が、具体的に記されている。
 峠恵子著「ニューギニア水平垂直航海記」を最近読んだ。現役のシンガーソングライターの彼女が一念発起して2001年にヨットで太平洋を縦断してインドネシア領のニューギニアに至り、そこから熱帯雨林を流れる大河を遡上して、最後に5,000mの最高峰にロッククライミングで挑む悪戦苦闘の冒険旅行の記録である。その彼女が食人経験のある原住民にインタビューした話が書いてある。その部分を引用する。

「人間のどこがおいしかったですか」と聞くと「くちびるだ」との答え。歯ごたえはたまらなく、みんなで取り合いになったそうだ。ちなみに男と女では、女のほうがおいしいとの弁。

 この部分を引用して、この話は明るくて凄絶なこの本の魅力を象徴している、と椎名誠が巻末で評している。

 とまあそんな訳でニューギニアはつい最近まで、人食いが行われていた世界最後の秘境である。なんだかおどろおどろしい野蛮な話だけれど、本当の事をいえば、私達がそこでやった何万人もの犠牲者を出した戦争の方が、遥かに野蛮であったと思う。そして血の滴るビーフステーキを食う文明人は、彼らを野蛮人だと蔑む資格は全くない。
 その人食い人種の住んでいた赤道直下の高地は、また珈琲栽培の好適地でもあるらしい。そしてそのパプアニューギニアの甘い高貴な香りを、今も楽しみながらこれを書いている。
 このあいだそこに行ってみたくなって、早速グーグルアースで首都ポートモレスビーに飛んで行った。港から川を遡上して行く船が見える。そして遥か上流まで遡上してそこから脊梁山脈の高地の上を飛んでみた。農園らしきものも散見された。
 翌日久しぶりに「アイボリーノブ」を訪れた。
「パプアニューギニアに行ってきましたよ」と私が言うとご主人は「え~!いいですね!どうでしたか?」と目を丸くした。私が以前から珈琲の原産地を巡ってみたいね、などと話していたので、本気にしたのだった。



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No.65 珈琲談話(2)

 その後長い間私にとっての珈琲はネスカフェとマックスウエル、それに喫茶店の煮詰まった苦い珈琲であった。スプーン2杯の砂糖とクリープを入れる。「クリープのない珈琲なんて」というコピーは私にとって現実であった。
 自宅でネルで濾して珈琲を入れ始めたのは随分立ってからだった。インスタントよりは美味しいから、それ以後はこうして飲む事にした。そのころ珈琲専門の喫茶店が出来て、そこへ行けば入れたての珈琲が飲めるようになった。私が砂糖とクリープを入れずに珈琲をストレートで飲むようになったのもその頃である。
 粉で買う珈琲の銘柄を指定して味と香りの違いを楽しむようになったのも同時期だと思う。何度か自宅のコーヒーミルで豆を挽いて飲んだ事もあるけれど、手間のかかる割には余り違いがないようですぐに止めてしまった。
 格別旨いという程でもないのに、なんだかんだと悪口を良いながら、かれこれ40年近く珈琲を飲んでいるのはどうしてだろうか?癖になっているのかもしれない。何日も田舎に旅行をして都会に帰り着くと、何はともあれ喫茶店を探してしまう。自宅では一日に5杯は飲んでいる。
 こんな私が又新たに珈琲を再発見したのは、つい数年前である。小手指の南口に珈琲豆焙煎工房「アイボリーノブ」という店が出来てからだ。
 小さな店先に漂う珈琲の芳香に惹かれて立ち寄った。店先には銘柄名が掲げられて、丸い容器に入れられたグレーの珈琲の生豆が並んでいる。数台の小型焙煎器がガラガラと音を立てていて、店の中は珈琲の香りで充満している。銘柄を指定するとご主人がその場で焙煎して挽いてくれる。サービスの珈琲をいただきながら待つ事15分で出来上がる。まだ温もりのある包みは芳香を放ち、帰りの車の中に充満した。
 早速自宅で試飲して驚いた。キリマンジェロだったか?味も香りも段違いであった。ご主人曰く「珈琲は新しい良い豆、焼きたて、挽きたて、入れたてが美味しく飲む秘訣です」
 それ以来私は「アイボリーノブ」に通っている。ご主人は無口な方である。かくいう私はおしゃべりであるから、珈琲についてあれこれとうるさく聞く。聞いた分だけ訥々と教えてくれる。御陰でこの3年で私は随分珈琲通になったかも知れない。
 ここの主人は生豆の品質を吟味して仕入れる。同じ銘柄であっても品質のばらつきは大きいと言う。生産される農園の違いやその年の気候、そして生豆の管理状態、新鮮さによってばらつくと言う。生豆の色や重さである程度見分けがつくようだけれど、最後は焙煎して試飲するという。だからここにある豆は良い物だけである。
 焙煎も豆の状態によって微妙に加減している。同じ銘柄でも豆によって焼着上がる時間が違うと言う。それを見ながら丁度良く焼くのである。焼き上がった豆を冷やしながら丁寧に焦げた豆等を取り除く。そして粉に挽く。
香り立つ美味しい珈琲を飲みたい方は、一度この「アイボリーノブ」の自家焙煎をお試しあれ。
 

珈琲焙煎工房「アイボリーノブ」
〒359-1141 所沢市小手指町4-2-16
TEL(FAX ) : 04-2949-7754
E-Mail:knob1990@yahoo.co.jp
電話、FAX、E-Mailで注文すれば、200gでも配達してくれます。



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No.64 珈琲談話(1)

 終戦直後、私は坊主頭で青洟を垂らして、内房の海辺で遊び呆けていた。珈琲というものは知らなかった。それを知ったのは、東京の高樹町に住んでいた母方の伯父が、泊まりがけで遊びにやってきたときである。痩せて背が高くちょび髭の似合う洒落た人であった。細い声でもの静かに話をする。
「珈琲は銀座のトリコロールだよ。あそこの珈琲が一番だ。旨いね。会社の帰りに毎日行くよ」
私はエキゾチックな銀座のトリコロールと珈琲なる飲み物を、どんな味がするんだろうと想像した。しかし東京はもちろん珈琲も、遥か彼方の世界であった。
 小学校の4、5年の頃だったか。母が伯父を尋ねて行くことがあり、どういう経緯か私を連れて行った。多分東京に憧れている子供たちを、機会があるごとに、順番に連れて行ったのだろう。大丸デパートであったか新宿駅ビルであったか、母は私を連れて珈琲スタンドに入った。
「珈琲を飲ませてあげるからね」
 壁と細長いテーブルの隙間に並べられた丸椅子に腰を掛けて、目の前に出された真っ黒な飲み物に砂糖をたっぷり入れ、それから恐る恐る口を付けた。珈琲の香りが強く匂い、ひどく苦かった。一口で止めた。
 その時母が何と言ったのか、それからどうしたのか、全く記憶がない。憧れていた珈琲に幻滅したショックで他のことは忘れたのかも知れない。あんな不味いものを伯父は、どうして毎日飲むのだろうと思った。しかしその時の香りとエキゾチックなイメージは、その後長い間私を捕らえていた。
 その後珈琲に再会したのは、高校2年の時に東京に転居してからであった。その頃からインスタントコーヒーが出回り始めた。ネスカフェである。毎朝たっぷりと砂糖とミルクを入れて飲んでだ。そして大学に入ると、喫茶店で良く珈琲を飲んだ。これもやたらに苦がくて、砂糖を入れないと飲めなかった。厨房を覗くと珈琲は大きなガラスの容器に入れられ、常時加熱されていた。注文があるとそれをカップに注ぐ。煮詰まっているから真っ黒でひどく苦い。勿論香りも飛んでしまっている。
 名曲喫茶「田園」でモーツアルトやベートーベンを聞きながら飲んだ珈琲も、例外ではなかった。しかし長話や音楽を聴きに喫茶店に入るので、文句を言う人はいなかった。いや、それが珈琲というものだと思っていた。西田佐知子の唄う「コーヒールンバ」が大ヒットしたのはその頃であった。
 それからどのくらい立ってからだったか?大学2年の頃だったかも知れない。すでに大分前に伯父は亡くなっていた。ある日ふと、銀座のトリコロールに行ってみようと思い立った。松屋か松坂屋の裏にあると聞いた記憶を頼りに、随分と探した末、やっと小さな喫茶店を見つけた。三色旗が掲げられている。私はそこで初めて入れたての本物の珈琲を味わった。コーヒールンバの歌詞にあるような、琥珀色の香り高いエキゾチックな味がした。旨かった。値段は2倍近くしたと思う。
 ちょび髭の伯父は優しく静かな人だが、伯母は反対に我の強い人で、自分中心でなければ気が済まない人であった。話題は全て引き取り、大きな声で話をする。髪の毛は黒人のような縮れ毛であった。子供が嫌いであった。泊まりにくると、「駄賃をやるから早く寝なさい!」と私達は居間から追い払われた。勤め帰りに何時も一人で珈琲を飲んでいた伯父の気持ちが、少し分かるような気がした。
 あの時以来トリコロールに行っていない。だから松屋の裏か、松坂屋の裏であったか、又忘れてしまっている。今もあるのだろうか?




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No.63 個展のお知らせ

「脇 昌彦 水彩画小品展」
 会期:1/20(火) ~ 2/1(日) 但し月曜は休み
 時間:am11:00~pm6:00  但し土日はpm5:00迄
 会場:ギャラリー喫茶「花水木」
    所沢市松葉町15-8 Tel04-2992-6027
    西武新宿線 新所沢駅東口徒歩5分
    気軽にご覧ください。(入場無料)

秋川の渓流「秋川の渓流」F6

 2006年12月に竹橋の毎日アートサロンで開催した「四季の風景画展」以降に描いた、風景画の新作を20点程展示いたします。
 公募団体に参加していた頃は60号~150号の大作を描いたが、無所属になってからは風景画の小品をもっぱら描いている。やはり大作と違い無理なく自然体で描ける。
 長い歳月を重ねて多くの事が色褪せてしまった今も、唯一変わらない輝を放つ魅力的なものは自然の美しさだけのような気がする。それをひたすら味わい、描き続けようと思う。
多くの方に来場いただき共感していただけるならば、幸せである。





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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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