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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.45 ハラッパ

原っぱ

 子供の頃はハラッパが何所にでもあった。ツクシを摘み茅花をとって食べた。草の上に寝転んで空を見上げていた。バッタや蝶を追いかけた。相撲や戦争ごっこをした。落とし穴を作って、薮に隠れて誰かがそこに落ちるのを待っていた。草野球をした。春はタンポポやシロツメクサやハルジオンが咲いていた。
 しかし最近そんなハラッパはすっかり姿を消してしまった。だからスケッチに出かけて時折見つけると、嬉しくなってしまう。草がただ一面に生えているだけなのだけれど。
 数年前の四月頃、4人のグループを引率して霞川の上流域にスケッチに行った。高台になっている畑の一角に空き地があり、そこから西に奥多摩の青い山並みが一望できた。皆でそこを描くことに決めて、構図の取り方や簡単なデッサン指導を終えて、私もイーゼルを立てて描く準備をした。
 そして何げなく振り向いて足下を眺めると、気持ちのよい草原が広がっている。懐かしさがこみ上げてきて、結局私一人だけ反対を向いてこの絵を描いた。その草原で皆で食べた弁当の美味しかったこと。
 何の変哲もないハラッパが、こんなにも愛おしく感じてしまうのはどうしてだろう?


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No.44 早春の用水路

早春の用水路


 荒川の源流は雲取山、飛竜岳、甲武信ヶ岳等の連なる奥秩父山塊である。そこに降る雨を中津川、赤平川、滝川、大洞川等の支流で集めて、西の長野県境の両神山、二子山、東の奥武蔵山塊に囲まれた秩父盆地の中央を北に向かって流れ下っていく。
 長瀞を過ぎて東に向きを変えて花園付近で関東平野に流れ下り、熊谷、鴻巣、上尾と埼玉県の中央部をお椀を伏せたような曲線を描いて南下し、やがて川口市を経て東京湾に注いでいる。
 荒川は奥秩父には多くの小さな支流はあるが、平野部に流れ出ると殆ど大きな支流はなく、ようやく川越の東で最大の支流入間川と合流する。この入間川には荒川と違って多くの支流が有る。支流は奥武蔵山塊から東に流れ出て、次第に合流しながら北上して入間川の本流となり川越の北側を半周して荒川に合流している。ちなみに南部の青梅付近から北に向かって順次その支流をあげると、霞川、黒沢川、成木川、名栗川、高麗川、越辺川(おっぺがわ)、都幾川となる。川島町あたりですべて入間川となって流れ下る。その入間川の北にもう一つ小さな荒川の支流がある。市野川だ。この川は上流に行くと二股に分かれて、市ノ川と滑川(なめりかわ)となっている。
 この入間川と一部の荒川の支流域は私の住む所沢の西北部に広がっていて、自然豊かで変化に富み四季折々に良いスケッチのフィールドを提供してくれている。
 その中で一番最初に絵を描き始めたのは市野川である。出張途中に橋の上から見た美しい河川敷に魅せられて通い始めた。自然のままの広い河川敷には雑木林や水路や湿地そして葭原があり、春にはタンポポや菜の花が一面に咲き、水路にはオタマジャクシや小魚が泳いでいた。静かに描いているとすぐ近くをオコジョが歩いて行く。空高くヒバリがさえずっていた。その後何年間も季節ごとにここへ絵を描きに来た。以後そこは私のとっておきの場所となって、行き先に迷った時は必ずここに来た。
 何年かのブランクがあり、春の穏やかな日差しに誘われて久しぶりにここへ車を走らせた。その時橋の上から私が見た光景は今も忘れることが出来ない。広大な河川敷には多くのブルドーザーとパワーショベルが唸りをあげて走り、美しい河川敷の緑は全て無惨に剥ぎ取られて、見渡す限り土が剥き出しになっていた。何が起きたのだろう?嘘ではないのか?ショックであった。気を落ち着けて堰堤に掲げてあった工事の掲示板を見た。「吉見町民ゴルフ場造成工事」と書いてあった。
 河川敷の林や湿地は多くの動物の棲家となって、河川の水の浄化にも欠かせない場所である。そこで多くの人たちが散歩し、野草を摘む。ほんの一握りの人のためにその場所をゴルフ場にして、農薬を散布する。どうして行政がこんなことをするのか?憤りで心臓が痛んだ。悲しかった。この日以来私は酷いゴルフ嫌いになった。その頃私は未熟で良い絵は一枚も描けなかったが、失われたその美しい光景は今でも脳裏にしっかりと焼き付いている。
 その後良いポイントを探して入間川の支流域の多くを絵を描きながら巡って歩くことになった。どこの支流にもそれぞれに美しい場所があり、今の私の大事なスケッチフィールドとなっている。
 ここに掲げた絵は東松山付近で2月に描いた。「早春の用水路」と題して昨年の11月の個展に展示したものだ。最近地図を見たら、これは用水路ではなく市野川の上流の滑川であることに気づいた。20年以上前のあのゴルフ場は民間に払い下げられて「富貴ゴルフ倶楽部」となっていた。



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No.43 三浦半島

大島遥か


 房総半島の故郷大貫の海岸からは、東京湾を挟んで彼方に三浦半島がいつも見えていた。丁度正面に白い観音崎灯台があり、夜になると旋回している灯が見えた。
 毎年夏になると房州の金谷港から三浦の久里浜までの遠泳大会が行われた。もちろん何艘もの漁船が伴走して行くのだが、直線距離にして15キロ程の浦賀水道は潮の流れが早く大型船が往来するので大変という話だった。水泳が得意だったので、いつか参加したいと思っていたが、結局果たせないままに東京に引っ越すことになった。
 漁民にとっての三浦半島はすぐ隣であったが、そうでない人にとっては海を隔てた彼方である。私が初めて三浦半島に実際に行くことになったのは、家内の実家を訪ねた26歳の時であった。穏やかにうねる丘は、大根やキャベツや西瓜畑の緑とイエローオーカーの素敵なキルティングで、その向こうには東京湾と太平洋が明るく輝いていた。その光景は房総半島とは全く違っていた。
 空気が澄んでいると伊豆大島が意外なほどに大きく見えた。三崎漁港は大型のマグロ漁船がひしめき、その上をカモメが飛び交っている。油壷のヨットハーバーには真っ白なクルザーが日に照らされ、その船体を群青色の水面に映して揺らめいていた。剣崎灯台の両側の入り江には小さな漁港があり、潮の香りに包まれていた。
三浦半島は画材の豊富なところである。



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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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