脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.38 一夏の思い出

 大学の4年の夏休みに、工場実習に行くことになった。行き先は長野県の池田町にある精密機械メーカーの工場であった。私の父が当時この会社の本社の総務部長の職にあったので、父の特別の計らいで他大学の学生の実習に割り込ませてもらったのだ。既に別の会社に就職が決まっていた私の自堕落な日常を、父は見兼ねて私にこれを提案したのだ。話を聞いて最初はあまり気が進まず生返事をしていた。しかし当時私は北アルプスを一望できる美しい安曇野に一度行って見たいと思っていたので、暫くして結局父の申し出を受けたのだった。
 新宿を出た列車は、八王子を過ぎると人家が途切れて、緑の山間を縫うように走っていく。夏の日射しが沿線の樹木に強烈な陰影を作って、それがゆっくりと走る客車の中を前から後ろに移動していく。トンネルを出ると一斉にセミ時雨が飛び込んでくる。車窓の下に桂川の光る水面が蛇行しているのが見え、河原に空き瓶でもあるのか、キラキラと陽の子を散らしていた。
 4年の学生生活はあと半年程しか残されていない。歌を唄い恋をし議論し哲学をして過ごした夢のような時がもう終わろうとしている。時は容赦なく流れて止処なく、自分も周囲の仲間もこのところ皆妙に白けてしまっている。車窓の山村の民家の庭に朱色のザクロの花が咲いている。その色が空虚な胸にしみ込んでくる。鮮やかな朱色は自分の青春なのだ、と理由もなく感じていた。
 

〈旅の空に〉
                
旅の夏空に
煙りを吐くと消えていった
水色の憂いになって
漂い拡散した

美しいものと
悲しいものが
白雲のような寂しさを
取り残して消えていった

どうして厳しい心を
なくしてしまったのだろう
柘榴の朱の花のような心を
散らしてしまったのだろう

取り返しのつかない空虚さで
埋めようのない寂しさで
たばこの煙りは 肺を巡って
吹き出してくる

空き瓶が山間の河原で
光っている
どこかでカナカナが叫んでいる


 熱気の中の甲府盆地を過ぎると、列車はまた山間部に入っていった。左の遥か下方に釜無川が蛇行して流れていた。その向こうに、逆光の甲斐駒ヶ岳が巨大な黒々としたシルエットになって、肩を怒らせて覆い被さってくる。それが半年後に自分を待っている、得体の知れない世の中と自分の運命のような気がして、車窓から眺めていた。
 列車は夕方池田町にある大糸線の信濃松川駅にようやく到着した。ホームからは衝立のように南北に連なる逆光の北アルプス連峰が一望に見渡せる。初めて見る北アルプス連峰であった。
 それから新設されたばかりの真新しい工場の応接室で、他大学の2人と一緒に工場長の簡単な挨拶と説明を受けて、宿泊場所となる独身寮に案内された。そこから歩いて5分程の古い民家の並ぶ街道に面した一軒家が、独身寮として借り上げられていた。襖で仕切られたその中の小部屋に荷物を置いて落ち着くと、私はここまでの旅の間の感傷的な気分を拭い去って、明日からの現実に立ち向かわなくては、とようやく思い直した。
翌日,午前中は工場内を案内され、午後から早速実習になった。私はフライス盤で鉄の素材を定寸に切断する仕事が割り当てられた。来る日も来る日も同じ作業の繰り返しであった。工場の中には加工機械の騒音と油の臭いが充満していた。
 そんなある日、長髪の電気技師の寮長がやってきて、
「北アルプスは僕の庭みたいなものさ。今度の日曜日に白馬岳登山に行こう。道具も皆借りてくるから」
と申し出があった。
毎日の決まりきった作業にうんざりしていた私達3人の実習生は、喜んでその誘いを受けたのだった。
 当日は朝から快晴で、大糸線の白馬駅から満員のバスに乗って、登山口の猿倉に向かった。そこから鬱蒼とした道を暫く登ると急に明るく視界が開けて、山霧の中に大きな雪渓が見えて来た。そこから吹き降りてくる冷たい風が汗をかいた身体に気持ち良い。
 一列縦隊で小1時間程あえぎながら雪を踏み締めていくと霧は次第に晴れ上がって、遥かに続く真っ白な大雪渓とその上の紺碧の空と、左に杓子岳、右に白馬岳が一望に仰ぎ見えてきた。大雪渓をようやく越えると岩場があり、そこををあえぎあえぎよじ登っていった。先頭は寮長で2番手が私、3番手が宮崎大学の学生、そして最後尾は登山経験のある山梨大学の学生であった。私は奥多摩や丹沢を歩いた経験はあったが高山は始めてだった。しかし宮崎大の学生は登山はまったく始めてで、しかも運動をあまりしないらしく、大分参ってしまっていた。大きな岩をよじ登って、私の後に登って来た彼をふと振り返ってみたら、岩の上でふらふらとバランスを失って後ろに反り返っていた。私は「危ない!」と叫んでとっさに彼の衣服を掴んで引き戻した。私が振り返らなかったならば遭難事件になっていただろう。  
 結局彼をここに残して私達3人だけで白馬岳の山頂を登ることにして、帰りに合流して一緒に帰ることに決した。
そこで早めの昼食を取ることになった。寮長は炊事道具をセットして鍋に水を湧かし、おもむろにリュックから数個の即席ラーメンを取り出して、沸騰する湯の中にそれを放り込んだ。ラーメンが煮えるまでの時間の長かったこと。腹ぺこで死んでしまいたいと思った。その日の食事はこれが全てで最後だった。高山植物の花に囲まれ、煌めく雪渓を眺めながら紺碧の空の下で、ガツガツと貪り食ったその即席ラーメンの旨かったこと。
わずか5分で食べてしまった即席ラーメンだったのだが、それ以後35年たっても旨いものというと、必ずその時の白馬の大雪渓の光景と共にあの時の即席ラーメンを思い出す。もう一度食べてみたいと良く思う。
 夏の最も記憶に強く焼き付いている思い出は、あの時の即席ラーメンの味なのだった。私の変な一夏の思い出である。





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No.37  野球も同じ

 このところ3年程テレビを見ない生活をしているので、だいぶ昔のことになるが、プロ野球の新監督がテレビの記者会見で「勝つ野球を目指します」と云っていたのを憶えている。
また別の監督だったと思うが大事な試合前に「今日は勝ちにいきます」云うのも聞いたことがある。これでは駄目だなと思ってみていたが、案の定どちらも上手く行かなかったのを記憶している。
プロの勝負事なのだから、勝ことを目指すのは当たり前でそんなことをわざわざ云う必要はさらさら無い。むしろ勝ちたいと云う気持ちが邪魔して、良いプレーが出来なくなってしまう。その結果負けてしまうことが多い。
 もうひとつよくあるのだけれど「気楽にいけ!」とバッターを送りだしてもいけないと思う。(気楽にしなければ)という意識がプレーに専念することをさまたげるからだ。
 じゃあどうすれば良いか?私ならば「思いっきりバットを3回以上振ること!」と送りだす。バットを一回も振らない見逃し3振は罰金10万円、一回しか振らない場合は5万円、2回だけの場合は1万円の罰金にする。振らなければ絶対に当たらない。振りさえすればまぐれ当たりだってあるかも知れないし、振り続けていると次第に打つことに集中できてヒットになる確率も増えてくる。
要は結果のことを考えたりせず、プレーそのものだけに専念するようにすれば良い。そうすることによって実力に見合った良いプレーができる。その結果勝率が増えるのだけれど、実力や運があるから勿論負けることもある。
 勝負事以外でも同じことが言える。絵を描く時も同じだ。「良い絵を描こう」と思う気持ちが邪魔になってしまう。ましては「個性的な絵を描こう」「人と違う絵を描こう」等は論外であると思う。個性とは自然に滲み出るもので、自分には判らないもの。ましてや人に押し付けるものではない。人と競争する意識も百害有って一利なしと思う。また根性論も精神論も描く時は邪魔になるだけだ。そんな気持ちは絵を描く本来の目的から外れている。
 描く対象に真に感動しているかどうか?感動しているならば、それをひたすらに描くことに専念する。それ以外の気持ちを全て排除しなければいけない。その結果良い絵が描けるかどうかは、その人の実力と運命による。結果を顧慮せずひたすら描くことに専念する。「結果のことを思慮の外において、ひたすらなすべきことに専念せよ」これはヒンドゥー教の聖典バカバッド、ギーターの教えるところだ。
 
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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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