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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

No.30 全ては内にある

 三十年程前に私は出口のない状況の中で、悪戦苦闘していた。周囲の何もかもが敵意を抱いて私に迫ってきて、息が詰まりそうであった。もう駄目だ、限界だと何度思ったことか。周囲は皆暗く陰鬱に沈んでいた。特に明るい新緑の季節は、私の陰鬱な気分と余りに懸け離れていて、不安で恐ろしかった。鳥のさえずりも楽しそうな人たちの声も、私を不愉快にするばかりであった。
 その頃悩んでいる問題を、ノートに箇条書きして見た。世の中に対する不信、勤務先の上司、同僚との軋轢、友人や家族との不和、将来の展望の喪失等、大別して7つあった。それらはどう考えても解決の糸口はなかった。その暗闇の中で数年間もがいた後に、前にも書いたが、ヒンドゥー教の聖典バカバッドギータの導きで、ようやくその危機を脱出した。
 それからは不思議なことが起こった。周囲の光景がいっぺんに明るく穏やかに変じて、和やかに私を迎え入れてくれるようになった。気分は快適で幸福であった。明るい日射しも花も鳥のさえずりも、楽し気な人びとの姿も、心地よく私を酔わせてくれる。嬉しくて幸福な日々が続いた。状況は何の変化もないのに、全ての悩みは嘘のように綺麗に消失していた。狐に騙されたような気分であった。
 あらゆる問題は私の心の内にあったのだ、だから内を整えることが大事なのだと気付いた。自分が感じるように外界は存在しているのだ。外の世界は自分の意の侭には決してならない。自分の内面は努力すればコントロール出来る。そしてその内面が感じるように世界は存在する。「全ては内にある」と思った。




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No.29 現場で描く

 花は数時間でその姿を変えて、魅力を失ってしまうことがある。風景はもっと激しく、刻々とその姿を変える。息を飲む程魅力的だった光景が、陽が陰るとたちまち変哲のない光景になってしまう。水面の投影は風がそよぐ度にその姿を様々に変えていく。モデルの女性もまた描いていく間に、その表情や魅力を変えていく。そしてなによりも、描いている自分自身の気分が時間と共に変化して、同じモチーフに感動をしたり何も感じなくなったりする。絵はモチーフを描いているのだけれど、実は描く人とモチーフの一期一会の響き合う感動を描いているのだ。
 だから私の絵は原則としてモチーフを前にして、静物も風景も人物も2時間程で大部分一気に描いてしまう。感動が消えてしまわない内に急いで描く。こうして描いた作品は緻密さに欠けるが、その反面生き生きした臨場感のある作品になる。
 脇昌彦水彩画廊の「午後の東京港にて」P15 はレインボウブリッジの上から描いた。7月の暑い日で海風の強く吹く日だった。大きな画板を乗せたイーゼルを金網に紐で縛らなければならなかった。すぐ後ろは大形自動車が間断なく走っている。この風景は金網越しの光景だったのだ。海にタグボートが走って、逆光の中の無数の光鱗が切り裂かれていく。煙突から吐き出された煙りが真横に吹き流れている。
私の絵はどれも一枚限りの絵で、2度と同じ絵は描けない。


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No.28 不可思議な私の日常

<不可思議な私の日常>
                
とある喫茶店で
軽快なポップスを聞きながら
人や車の行き交う通りを眺めている
良い人の 良き日々は
今日も平穏に過ぎていくけれど
静ひつなそんな時にも
体の奥底から気付かぬ程だけれど
いつも幽かな響きが聞こえている
遠い雷鳴か地鳴りのように
 
それは思わぬときに
ふいに
激しい音を轟かせて
体の中を響き渡り
暗闇に稲妻を走らせ
天地を揺るがす雷鳴を轟かせる
平穏な日々は瞬く間に打ち壊されて
恐れ畏敬する神は
私を鷲掴みにして弄ぶ

しかしいつもの
良き人の 良き日常は
いたって平穏で
微笑んで 挨拶をして
猫を抱いて昼寝をしたりしている
静ひつなそんな時にも
体の奥底から気付かぬ程だけれど
いつも幽かな響きが聞こえている
遠い雷鳴か地鳴りのように

恐ろしいけれども
そんな神を
どこかで待ちわびている
不可思議な私の日常なのです


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No.27 甘美な記憶

 故郷の幼い頃の思い出を元に小説「座礁船」を書いた。個々の素材は私の実際の体験だが、それを再構成して、脚色したり誇張省略をして書いたもので、やはりどちらかと云えばフィクションである。しかしそこに表現された終戦間もない穏やかな内房の田舎町の、キラキラと輝いた一夏のあの雰囲気はかなり再現されたと思う。
 その頃の記憶はもう彼方のことで断片的にしか記憶していなかったのだけれど、この小説を書き出してから、次第に芋蔓式に蘇って来た。書き終えて半年過ぎになるが、今はさらに細部に渡って様々な記憶が、脳裏に浮かんできて驚いている。この頃を題材にした作品をもう二つも書いたら、あの頃のことが隅からすみまですっかり蘇ってくるのかもしれない。
 その頃の記憶の一つに妙なものがあった。随分昔から私が故郷のことを思い出す時に良く訪れる感情だったが、故郷の家の庭先の光景が脳裏に浮かび、それと共にとろけるような甘美な幸福な気分で胸が一杯になってしまうというものだった。全てが乳白色の紗に被われたような曖昧模糊とした記憶であった。それがなんなのか、何度も思い出そうとしたが無駄だった。その記憶は何の根拠もないかも知れないし、勿論さしたる必要もないのだからそのままにしていたが、時がたつにつれて次第に薄れていった。
 私は六人兄弟の下から二番目で、上の三人が女で下の三人が男であった。だから上の姉とは15才も離れていた。両親の法事の時だったか、その姉達が私を交えて昔話をしていた。「隣に子供のない若い夫婦が住んでいて、そこの奥さんが2歳~3歳の頃のあなたをとても可愛がってくれて良く預かってもらったのよ。綺麗な奥さんだったね。一年程で東京に帰ってしまったのよ」その話を聞いて、あ~あの甘美な記憶の正体はこれだ、とすぐに気付いた。50年以上も前のそれも2歳~3歳の頃の記憶が、こんな形で残っていたのに驚いたし、しかもあの感情にはかなり濃厚にエロチックな要素が混じっていたから、納得もしたのだった。私はそんな思いはお首にも出さず、黙って聞いていた。
 具体的なことは殆ど忘れてしまっても、あの甘美な思いだけが確かに残っていたのだ。そういえばあの小説を書いた動機は子供の頃のあのキラキラした鮮烈な思いを書き留めたい、というものだったのだ。しかし書き出すと具体的なことが思い出せずに苦労した。
大事なことは単なる知識の記憶ではなく、キラキラと輝く感動の実感の記憶なのだろうと思った。


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No.26 芋蔓式

 30年前に所沢でお隣さんだった御一家があった。我が家の長男とお隣の次男が4才の同い年で、その関係で2年程親しくつき合っていただいた。その後御一家は転居されてしまった。家内は時々奥さんとお会いしていた様子だったが、そのうちに御主人の海外赴任で御一家はメキシコに行かれた。
 一昨年の10月頃だったか、新宿のライブハウスでソプラノサックス演奏者になったお隣の次男の方と再会した。何しろ30年も前のことなので心配だったが、立派な青年になった彼の顔をみると昔の面影が残っていた。もちろん予備知識が無かったら全く分らないだろうけれど。かれは良く接していた家内ではなく、わたしの顔に見覚えが有ると云うことだった。
 その後メキシコに移住された御主人とメールでやはり30年ぶりに再会し、そのことを話すと「自転車を乗れるようにしてもらった人だから、憶えているのですよ」との返事が帰って来た。ところが私にはその記憶が全くない。その後暫く何度も思い出そうとしたけれど、駄目だった。
 ところが家内にその話をすると毎日定時に帰宅して裏の道で長男に自転車の乗り方を教えていた、と云う。そう云われてから暫くの間何度も考えていると、長男の泣き顔を思い出して、自転車の補助車をスパナで外したこと、暫くして一緒にいた可愛い坊やの顔、やがてそれがお隣の次男坊だったことなどを、次第に思い出して来た。そうするとその後急速に周囲の景色や坂道になった道路、そこにあった柿ノ木までを次々に思い出していった。そこまで思い出すのに3ヶ月はかかった。
 私の記憶は全く消えてしまっているのではなかった。意識のそこに沈んでいるのだった。そして何かの手掛かりが有ると、それを頼りにして芋蔓式に次第に掘り起こされていくらしい。
 そのころ両家族一緒に木更津海岸に潮干狩りに行ったことをメキシコの御主人に話したところ、全く記憶にないという。何かの手掛かりがあれば、芋蔓式に思い出すのだろうけれど、だからといって格別どうと云うこともないのだから、無駄なのかも知れない。しかし消えずに眠っているのだと思う。



 そのお隣さんの御主人と次男の方のホームページがここにリンクしてあります。御覧ください。「よ~し決めた、メキシコの田舎で暮らすんだ!」これ以外にも多くの素敵なホームページを作っています。私のホームページを地球の裏側のメキシコで作って下さったのも御主人です。
 そして素晴らしいジャズ演奏家になって活躍中の次男の丹羽剛さんのホームページが「ソプラノサックス奏者、丹羽剛のページ」です。ジャズの作曲と編曲、そして素晴らしい演奏をしています。私のホームページの改定とブログの指導もしていただいています。
    
「よ~し決めた、メキシコの田舎で暮らすんだ!」
             http://rancho-mexico.hp.infoseek.co.jp/
「ソプラノサックス奏者、丹羽剛のページ」
             http://www.sopranomaster.com/index_j.htm



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No.25 記憶の年輪

大貫漁港風景
「大貫漁港風景」F6

 20年程前のことだったろうか、「時は過ぎ去るものではない、積み重なるものだ」といいながら琥珀色のサントリーオールドをグラスの氷に注ぐテレビコマーシャルのバージョンがあった。記憶力に自信のない私が数回テレビで見ただけのこの場面を、どうしてこんなに鮮やかに記憶しているのか?
 25年程前、私は公私に渡って多くの問題に直面して、長い間酷く悩んでいた。思い出すのも恐ろしいのだけれど、もう駄目だ限界だと切れてしまいそうな自分を、もう一人の自分が眺めていた。誰かがほんのちょっと背中を押したら、奈落に落ちてしまったろうと思った。幸いにもその後状況は好転して、かろうじてその危機は脱出したのだけれど、依然として問題の種が残っていた。だから私は歴史、心理学、哲学、ハウツーもの、アメリカの行動心理学、ポジティブ思考法等の本を読み漁った。仏教の解説書や教典の対訳、そして最期に辿り着いたのはヒンドゥー教の聖典バカバッドギータであった。それらの導きで、ようやく問題の種を払拭した。
 この時の長い暗闇で何度も崖っぷちに追い込まれたのだが、そんな時何時もキラキラと輝く故郷の海が脳裏に浮かんでいた。どうしてだろうと思ったが、すぐに気が付いた。生きていればあんなキラキラした楽しいことを又味わえるのだ、と思ったのだった。その後も何か問題の起こる度に、私は故郷の海を思い出していた。
 ちょうどそのころ、あのコマーシャルを見たのだと思う。「時は過ぎ去るものではない、積み重なるものだ」それを聞いて、過去の記憶も消えてしまっているのではなく、年輪のように私の体の中に積み重なっているのだ、と思わず膝を打った。私の年輪の中心にキラキラと輝く故郷の海が、確かで強靱な芯になっていて、それが私を支えてくれていたのだと、その時瞬時に思ったのだ。
 しかし嫌な記憶も消えることなく年輪を刻んでしまっている。だから、今とこれからの輝く感動の記憶を沢山積み上げて、それを薄めてしまうしかないと思った。感動の実感が大切なのだ。絵を描くのはその実感の記憶を確かなものにするためなのかもしれない。
 私は最近人や花の名前、地名を何度聞いても記憶できずに忘れてしまう。実感が大切なのだからと言い訳したいのだけれど、これはどうも老化が原因らしい。



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No.24 美しい季節

花咲く水路

 5月は一年中で最も美しい季節だ。鮮やかな新緑と咲き乱れる花、暖かい爽やかな空気と光が輝いている。この時期は毎年安曇野や伊那谷、赤城高原や榛名山麓に良く出かける。残雪の峰が光る安曇野や伊那谷はまた格別に美しい。
 数年前だったか、午後の眼下に光る水田と残雪の北アルプス連峰を一望してそのあまりの美しさに立ちすくんだ。逆光気味のアルプスの峰から雲が湧き出て光りを綾なし、その光茫や影が刻々と山腹や裾野を移動していた。その光景に胸が震え、開いていたスケッチブックや絵筆を放り投げて、だだひたすら呆然と眺めていた。あまりの美しい光景にただ感動していて、絵を描くなどと云うそんな小賢しいことに煩わされるのは、とても出来なかった。自然は荘厳な程に美しい。そのとき、あと何度こんな光景を目にすることができるだろうかと、切ない思いが胸を塞いだ。やがて何時の間にか急速に雲が空を被い、あたりは一面の暗いグレーに沈んでしまって、私は我に帰った。
 この季節は何処にいても美しい。私の住む狭山丘陵も例外ではない。先日天気の良い日に車で買い物に出かけた。いつも良く通る道沿いの民家の間に、綺麗な光景が垣間見えた。数日後に数名の生徒を連れて、そこへスケッチ指導に出かけてこの絵を描いた。5月は美しい宝石のような季節だ。




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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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