脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

No.19 変わるもの、変わらないもの

八ヶ岳山麓、冬

 十五年程前から、毎年元旦にスケッチに車で出かけていた。どこの道路も空いていて、普段の半分の所要時間で目的地に行ける。その上冬の空気は澄んでいて遥か遠方の山波がくっきりと見えることが多い。
 この絵はその頃の元旦に描いた冬の八ヶ岳山麓風景だ。山麓の農道を車で走り回っているうちに見つけた。そこで二時間程で描きあげた。遥かに見える山裾は雪で、山頂は雲の中だった。冬の日を受けた一面の枯れ草は、暖かい色だけれど、頬や手に当たる風は凍てついていた。
 伊那谷にも良く出かけた。晴天ならば雪の南アルプス連邦が北の甲斐駒ヶ岳から南の明石岳(?)まで一望に見渡せる。
 しかしこの五年程前から、元旦スケッチは止めてしまった。自分の体力が衰えてきたのも原因の一つだけれど、それよりも道路を走る車が増えてメリットがなくなったし、暴走族の集団走行が多くなって危険になったことも大きい理由だ。
 最近は店鋪は全く普段と変わらず営業するようになったので、スケッチには便利になったが、反面多くの人がそれを当てにして出かける。
 以前は元旦ばかりではなく普段の日のスケッチも、必ず自分で弁当を作って持参した。ブルドックソースで味付けした目玉焼きの焼きサンドウイッチと、魔法瓶に入れた珈琲が私のいつものスケッチ弁当だ。
 いつだったか弁当を忘れて出かけたことがあった。大田舎で午後二時頃迄我慢して描いていたけれど、あまりに腹が減ったので絵を中断して、車で食い物屋を探しに出かけた。しかしいくら探せど見つからない。三十分程して、ようやく古ぼけた店鋪を見つけた。ガラス戸は埃でよごれていて中は薄暗い。乾物や缶詰め鳴門や竹輪などが乱雑に並べてある。その横のケースに菓子パンが数個入れてあった。餡パンを二個と壜入りのオレンジジュースを買って、車に戻って一口食べた。変な味がするので、ふと手に持った餡パンを見ると点々と黴が生えている。あわてて吐き出して、残りは皆泣く泣く捨ててしまった。結局その時の絵は仕上げられなかった。
 今は全国の津々浦々何処にでもコンビニがあって、新鮮なものが何時でも何処でも食べられる。だから弁当を持たないで出かけることが多くなった。
思えば、この十五年程で周りの様子が驚く程変わっている。私自身も想像もしなかったパソコンを使うようになっている。この先どうなっていくのかと思う。

スポンサーサイト
このページのトップへ

No.18 花よりダンゴ

 奥多摩、奥武蔵、秩父、房州さらには伊豆、長野、山梨、上州、福島等に季節毎に良く風景スケッチに出かける。もちろん絵を描きに出かけるのだけれど、3回に一回はスケッチポイントを探しに行く。その時は鉛筆やコンテ、サインペンで済ませて、あまり本格的な絵を描かない。絵になりそうなところを地図で下調べをして、そこを探し歩く。
 予想に反して一日中車で走り回るだけで、終わってしまうこともある。その方が多いかも知れない。反対に思わぬ良いポイントが見つかると本当に嬉しい。良い場所にはその後十年近くは折に触れ何度も描きに出かける。スケッチに出かける楽しみは他にもある。
 10年程前から、毎年秩父の三峰にスケッチに出かけている。鄙びた山村の面影が残っていて、絵になる光景が多い。荒川を挟んで対岸には熊倉山を背景に贄川の古い宿場があって、ここの風景もとても良い。秋も深まると紅葉の山村が美しく、何度も絵を描きに出かける。
 この季節、三峰駅前の外れにある小さな古い民家風の店で、栃餅の大福を売っていた。栃餅と云えば上げ底の土産物の菓子の味しか知らなかったので、買うまいと思ったのだけれど腹も減っていたので試しに買って食べた。
 一口食べると栃の香りがして、歯ごたえのある固めの餅にはコクがあり、一度で虜になってしまった。それ以後この季節の三峰スケッチは、栃餅に惹かれて出かけて行くようになった。その店の奥で手作りをしていて、たくさんは作らないものだから、午前中に売り切れてしまう。だから朝到着すると先に栃餅を買って、それからスケッチをして夕方家に帰る。栃餅は時間が立つとすぐに硬くなってしまうから、持ち帰った栃餅は軽く焦げ目をつける程度に焼いて食べる。此れが又旨い。
 小田静夫監修「日本人の源流」を読むと、栃の実は栗やドングリ、椎の実と共に前期縄文時代の人びとに盛んに食べられてたらしい。栗やドングリ、椎の実は水で曝せばアク抜きができるが、栃の実は草木灰を入れて中和しないとアク抜きは出来ない。9000年も昔に縄紋人はその方法を考案したと云う。当時としては画期的なことで、それ以後縄紋人の食物は格段に多様化して行ったらしい。
この数年、栃餅は食べていない。今年は忘れずに食べに行こう。
 これは二十年以前の話だけれど、上野原から甲州街道を西に少し行って山懐に入ったところにある山村で、大勢の仲間と絵を描いていると近くの農家のおばあさんが、畑の芋を蒸かして御馳走してくれた。半透明の灰色のねばりのある実で、これまで味わったことのない不思議な旨さだった。誰もが旨い旨いと云いながら、篭一杯の芋を平らげてしまった。あまり美味しいので帰りに生芋を皆でわけてもらった。
 私は帰宅してすぐに自分で食べてしまったのだけれど、仲間の一人が料理研究をしている友人にあげたところ、「幻の芋だ。何処で手に入れたの?」と興奮して電話がかかってきたと云う。
 その後の経過は聞かず仕舞いになってしまったが、時々思い出す。「幻の芋」ってなんだったんだろう?あの山村にもう一度行ってみようか?


このページのトップへ

No.17 何がなんだか?

 長い間生きてきてしまったが、だから何がどうなったのかと云って格別のことはない、と思うようになった。若い頃は何かがある、何かが出来る、何かが分るかも知れないと思っていた。そう思うことが若さの証なのだろう。
 年を経るにつれて次第に物が分るようになりそうなものだけれど、私自身も周りの世界もあまりに奥が深く摩訶不思議で、ほとんど手に負えない。
しかし、ようようこの年になって、ほんの少し分ってきたことがある。私には何一つ取っても結局何がなんだか?訳が分らないことばかりなのだ、と云うこと。
 
 突然落語の話になるが、私が大好きだった春風亭柳昇師匠が数年前に亡くなった。その訃報を聞いて、あのユーモラスで味のある新作落語は2度と聞けなくなったと呆然とした。
 暫くして、一番弟子が柳昇の追悼番組で対談をしていた。アナウンサーに
「師匠の落語を殆ど話さないそうですが?」と聞かれて
「師匠の新作落語は、私がやっても全然駄目なんです。あの味が全く出せないので、面白くも糞もないんだ。だからやりません」と云う。
 落語のストーリーや内容ではない、つまり匂いや味や風味が他の人では駄目なのだろう。やはり柳昇のあの落語は永久に聞けないのだ!と寂しい気持ちで納得した。

 突然食い物の話になる。二十年程前に苦労して荒れ地を開墾して、ささやかな家庭菜園を作った。早朝に収穫した蕪を煮て食べると柔らかくて甘くて、あの独特の蕪の香りがむんむんと香って実に美味だった。蕪がこんなに美味しいものだったかと驚いた。
 ところでこの蕪がこの世から消えてしまったら、どうなるのか?たぶん永久にあの蕪の独特の味は2度と味わうことが出来なくなるだろう。地球上には何百万種の植物が有るにもかかわらずだ。
 人は絵を描く。あの小さな画面に膨大な無限の絵画が描かれる。どの絵にもそれぞれの世界がある。描く人のそれぞれの思いが託される。微妙な匂いや光や雰囲気が違っている。丁度人の顔が千差万別で同じもの二つとないのと同じだ。絵は描く人有っての絵なのだ。
だから分かったような顔をして、軽々に優劣を論じることは出来ない。
何がなんだか訳が分らないのだから、みんな丸ごとそのままに味わってしまうことにしている。少々下痢気味だけれど。

このページのトップへ

No.16 温もりのある街

 香港スターフェリー


 10年程前に、ニューヨークとホンコン、中国を相前後して仕事で訪れる機会があった。
ニューヨークはケネディ空港に降りて、そこから車で数時間のところにあるニュージャジー州のホテルで、数日仕事の打ち合わせをして帰国しただけなのだが、これが私にとっての最初のアメリカ体験であって、しかも多分これが最後になると思うからか、印象が深い。
 駐在員の迎えの車の中で、時差ボケで朦朧としながらも、生まれて始めてのアメリカの風景に目を凝らして眺めていた。片道五車線もの道路の両側は、一面に整備された街路樹と公園、そして広い住宅とその間にショッピングモールや事務所が整然と緑の中に配置されていて、電線や看板もなく公園なのかと見間違えてしまう。私達の泊まるホテルは、広大な駐車場に囲まれた中にあった。
 仕事の合間に街を見学する機会が2度程あった。一度は同僚とホテルの周囲の散策に出かけた。広大な駐車場を横切り4車線の道路を渡って暫く歩いて、そのまますぐに宿に引き返すことにした。なにしろ只それだけで相当の距離を歩くことになったし、途中の光景は整然と綺麗であったけれど、取りつく島もなく、面白そうなものは何一つ無さそうだと思ったからである。車は走っているが、歩いている人は殆どいない。
 その後もう一度出かけたのは、駐在員の案内で最寄りのショッピングモールに案内してもらった時だ。最寄りと云っても車でかなり走った。これも殆ど同じような緑の中の広い駐車場の中にあって、2階建ての全天候型になっている。中はやたらに明るく、綺麗な商店が両側に整然と並んでいる。どの店鋪も商品は全てパッケイジされて棚にキチンと格納されている。同じような代り映えのしない店鋪が延々と並んでいた。店員も話し掛けてこないし、愛想ない。
 数日後ホテルでの打ち合わせを終えて、帰国することになった。帰りのジェット機がニュージャジーの上空を通過したので、下を眺めると美しく整然と区画された市街が、見渡せるかぎり一望に広がっていた。ホテルから徒歩で見物に出かけた時、十キロ以上歩いたとしても同じような光景しか見出せなかったろうと思った。

 半年程して、香港を経由してマカオから珠江を高速フェリーで遡行したところにある江門市に、半月程出張する機会があった。その行帰りに香港に泊まった。
 市街は人が溢れて活気があり、路傍の飲食店から中華料理の匂いが漂って、スケッチをしていると様々な人が話し掛けてくる。スターフェリーを描いているとターバン姿のインド人が英語で話し掛けてくる。片言で相手をしていると、どうも運勢を占ってくれるという。暫く相手をすると別れ際に、料金を請求された。
 路地裏では警察官が話し掛けてきた。人のよさそうなひょうきん者だったが、何しろ向こうも片言なので、頓珍漢な会話をして握手をして別れた。「グッドラック!」とかなんとか云って。市街を歩いていると天気なのに雨がぽつぽつと落ちてくる。おかしいと思って上を見ると、高い雑居ビルの窓に取り付けられている無数の冷房機から落ちる水滴だった。
 雑多な工場のある10階建ての薄暗いビルの階段はコンクリートの打ちっぱなしで、なんと良く見ると犬の足型が幾つも付いていた。早朝ホテルを出て、濛々と蒸気が上がって八角の匂いが強烈な路地裏の混雑した食堂で、朝食を取る。若い店員が中国語と英語を交えて料理を説明してくれる。
 汚くて雑多で卑猥で無節操な香港の市街はあのニュージャージの街と比べると、暖かみがあってなんと魅惑的なんだろうと思う。人間は元来汚くて雑多で卑猥で無節操なんだから、その方が肌に合うのかも知れない。
最近の日本も何処へ行っても同じような大形の綺麗な店鋪が増えて、次第に温もりを失い始めている。
このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



<br /><BGSOUND SRC="http://blog-imgs-24.fc2.com/s/e/i/seifu/koi.mid" width=80 height=20 autostart=true repeat=true loop=true><br />
※このブログ内の文章及び画像の無断転載を禁止いたします。 

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。