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脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.11 描く前に出来ている絵

座礁船表紙絵

 私の小説「座礁船」の表紙絵を粗目の水彩紙F4に木炭で描いた。描くのに要した時間は五分程だ。この絵は何かを見て描いた訳ではない。描く前に、既に頭の中に出来上がっていた。それを単に描き出しただけなのである。
 時々こういう成り立ちで出来上がる絵がある。そんな時は120号の大作でも、描き出すとあっという間に出来上がってしまう。
 絵が出来上がる過程は様々だから、いつもそうなのではない。対象を徹底して観察してリアルに描く絵、対象のエッセンスだけを抜き出して別の世界を再構成して画く絵、画面で試行錯誤して作り上げる絵と様々である。しかしこれらの絵は完成する迄に多くの時間を要する。
 どちらが良いか、と単純に比較するのは無益なことのような気がする。それだけ絵は多様で複雑なのだ。ましてや絵の善し悪しとなると、一層訳が分からないというのが正直な実感だ。だから自分の感性を頼りにして、ひたすら描くしかないのだ。




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No.10 少しの幸福に

<少しの幸福に>
                    
とある朝の爽快な目覚め
洗顔の水の冷たい感触と
香ばしい一杯のコーヒーと
目玉焼きとトーストと
窓の外の緑の香気とひばりの声と
嗚呼 バッハのヴァイオリンソナタと
その中で絵筆を握る
ほんの少しの幸福

とある朝の頭痛と
諍いと不安と暗く冷たい雨と風と
埃臭い雑事と
手足の痛みと猫の病気と
愛しい人に会えぬ哀しみと
そんな中で絵筆を握る
ほんの少しの不幸

海の遥か彼方の戦いと
果てしない飢餓と虐殺
哀しみも 悲しみさヘも
跡形もなく吹き消してしまった
荒んだ嵐は
ここからはあまりに遠い彼方なので
私の世界には 今日も
飽和して充足した穏やかな風が
そしらぬ顔をして
揺らいでいる

少しの幸福と
少しの不幸は
いつも混じりあって交互に訪れてくる
そんな日々を
私は今日も生きている



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No.9 私の魂

<私の魂>

魂はあるのか無いのか
ゆらゆらと
陽炎か蜃気楼か
風とも呼べぬそよぎに
消えてはまた揺らぎ立つ
魂はあるのか無いのか
傷付いて汚れた肉体を
喘ぎ喘ぎ引きずって

嗚呼
魂はあるのか無いのか
無いと言えば
あまりに悲しいから
無いようで
でもゆらゆらと
揺らぎ立つ蜃気楼のように
あると言おう

私の魂




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No.7 大切なもの

 10年程前、友人御夫妻と3人で伊豆にスケッチ旅行に出かけた。友人の車で早朝出発。伊豆半島の首元の静浦港の静かな海面に、漁船が投影して揺らめき美しい。これを15号の絵に描いた。それから午後は簡単なスケッチをしながら天城峠を越えて、夕方最南端の弓ヶ浜の民宿に入った。
 この民宿はこじんまりとして清潔で魚が美味しい。それに温泉付きで、塩分が強くて海水のような湯がとても気持ちが良いので、その頃よくこの宿に泊まっていた。
夕食後今日の絵を手入れしをしようとして、肝心の絵が無いのに気付いた。カルトンごと静浦漁港の岸壁に忘れてきたのだ。しまったと思って気が動転する。
結局友人の申し出があって、翌日の予定を大幅に変更して早朝に静浦に戻ることになった。その日は風が強く吹いていて、私はもう絵は見つからないのではないかと気が気ではなかった。
 昨日の岸壁に辿り着いて、心当たりの場所を友人と探したが、やはり絵は見つからない。この風ではどこかに飛ばされてしまったのだろうと、諦めて車に戻る途中傍らの木造の小舟の中を念のために覗くと、なんとそこに私のカルトンが有るではないか!「あった~」思わず大声を出したので友人が飛んできた。
 その時の喜びと友人の親切は今も忘れない。忘れるのならば、財布や免許証のほうがはるかに良いと思った。絵はかけがえのない自分の分身なのかも知れない。その時の絵が「脇昌彦水彩画廊」にある「漁港の朝」だ。

<大切なもの>

視線を外すと
見えるものがある
焦点をぼかすと
判るものがある
失ってみて
気付くものがある

ゆっくりとした時間の中で
初めて仄かに感じるものがある

追い掛けると
逃げてしまうから
ただ心静かに
この青空の下に佇んで
感じている



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No.8 希望の朝に

 
<希望の朝に>

静かに開いた瞳に
朝の暗い室内が写る
小鳥のさえずりと
新聞配達のバイクの音が
遠い彼方から
私の鼓膜を軽くたたいている
そっと動いた手足の皮膚は
暖かい綿のシーツを感じている

身体はベッドを離れて
花柄のカーテンを静かに開いた
闇を切り裂いて
今日一日の希望の日射しが
洪水になってなだれ込んで来たよ
ああ爽快な朝に
奇跡のように目覚めた私が生きている

小鳥のさえずりの代わりに
ギターラを奏でながら
苦難も哀しみも
深い喜びに変えてしまう
ポルトガルの麗しきファドを唄おう
静かで深い魂の歌を唄おう
大切なのは
今日の喜びなんだよと!

明日の
絶望の嵐も
愛しい人との別れも
冷たい氷雨の孤独も
今日心配して数えても
詮無いことさ
明日は明日で神の思し召しだから

それよりも
くぐり抜けて来た哀しみと苦難を
ひとつひとつ
希望の陽に当てて乾かして
心に折り畳んでしまい
そして人々と味わった
沢山の楽しみを
またうっとりと反芻しよう

愛しい人よ
貴女にも今朝
奇跡が訪れて目覚めたか?
この麗しき今日の朝の光を
全身に浴びて
喜び震えて目覚めているか?

今日の希望の帚で
積った塵をみんな掃き出し
今日の希望の洗濯機で
汚れた衣服をみんな洗って
こんなにも明るく輝いている今朝の陽に
ハタハタと真っ白に
心を旗めかそう

タクラマカン砂漠の甘美な乾いた風
何一つ執着せず
何も持たない砂の大地
何もない紺碧の天空
あんなふうにアッケラカンと
苦難も哀しみも乾かしてしまおう
今日一日だけかもしれない
朝の希望の日射しで




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No.6 炎暑の道

 春と秋が快適で美しい季節だから、一番多く野外スケッチ出かけるのだけれど、真夏のギラギラと燃え上がるような炎天の季節も好きで伊那谷に良く出かけた。輝く太陽の下の一面の緑の稲田とその畦に咲く名も知れぬ花々、遥かに青々と横たわる南アルプス。懐かしい独特の稲の香りに包まれていると、あ々生きていると実感する。
 
 ある暑い夏のさなかに、泊まり掛けで伊那谷にスケッチに出かけた。
天竜川の東岸は鄙びた田舎で対岸には中央アルプスが一望に見渡せる。そこの傾斜したカンカン照りの畑の斜面にイーゼルを立てて、天竜川とその向こうの中央アルプスを描いた。日射しは強烈で肌に痛い。
 汗まみれになって3時間程描いて、午後3時頃には駒ヶ根の大沼湖畔の宿に引き上げた。宿は涼しく部屋で疲れた体を休めていたが、やがて頭痛が始まりだんだん強くなる。食欲も無く夕食もそこそこに部屋で寝たけれど、結局朝になっても頭痛が癒えず午前中一杯宿で休んでいた。昼頃になってやっと回復した。
その後安曇野まで足をのばして、画友と穂高温泉で合流して一泊した。

 後日知ったのだがこれは軽度の日射病(熱中症)だったらしい。暑い最中はさほど自覚が無くて、後からだんだん酷くなると言う。それで手後れになる人が多いらしい。それ以後真夏のスケッチは日陰を選んだり、大きな麦わら帽子をかぶって冷たい水を頻繁に飲んだりして、短時間で描くようにして用心している。
 翌年の7月同じ伊那谷で猛暑の中、通りがかりの変哲のない田舎道を短時間で一気に描いたのが「脇昌彦水彩画廊」の中の「炎暑の道」である。



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No.5 彼岸花

 未だ強い日射しの中で蝉が鳴く9月末の奥武蔵の山間を行くと、畑や田圃の畦に真っ赤な彼岸花が咲きはじめる。つるりとした浅緑の茎が突然地面からはい出して、その先端から血飛沫を吹き上げるような、その花は何か異様なものを感じさせる。お墓の周囲には群れをなして咲いている。彼岸花とはあの世の花という意味だ。良く知られた曼珠沙華以外にも、死人花、捨子花とも呼ばれているらしい。
 群れなして咲いているのを描くのも、一輪描くのも難しい。それにその異様なイメージが様々な想像を掻立てて、いまだ良い絵は一枚も描けていない。描く気がしない。
だから私は毎年彼岸になると死人に誘われるように、ただ野山をうろついて眺めているだけなのだ。

〈彼岸花〉

蝉の泣叫ぶ苔むした墓場の
濃緑の静けさの中に
暗い地下から這い出した
肌色のしなやかな細い茎の先から
真っ赤な血が吹き出している

戦争や飢饉
残酷な宿命の月日を
端正な顔をして耐え忍んで
人知れず暗い土に
埋もれてしまった女達

彼岸の強い陽射しの中に
暗い地中から
素肌の侭這い出して
艶かしく揺れながら
真っ赤な血を流して
身悶えしている
彼岸の花




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No.4 螢

 暖かい初夏の夜になると、あの青白い艶かしい源氏螢の光を思い出して、丘陵の暗い谷間を一人で歩く。ひと夏に10回は見に行く。
 晴れていて風のない暖かい夜を選んで行くのだけれど、螢に巡り合えるのは1~2回だろうか。同じような夜でも光る時と全く光らない時があって、どうしてかと思っていたが、10年ほど通ってみてあることに気付いた。晴れていて風のない暖かい夜でも、陰気で虫の声も聞こえない夜は光らない。なんとなく浮き浮きして虫も騒がしく鳴いて、若い娘が浴衣を着て盆踊りにでも行きたくなるような陽気な夜は光ると。人も螢も同じだと自己流に納得して、それ以来そういう夜を狙って出かけている。多少は確率が高くなったかも知れない。
丘陵の螢は年々減って、数匹の螢が暗闇にわずかに点滅するだけなのだけれど。
 一昨年、東秩父の山中の渓流に絵を描きに訪れて、その渓流沿いの農家の庭先から河原に張り出した東屋をみつけた。そこの老人に聞いたところ「夏の夜に家族で一杯やりながら螢を見る為に、私が作った東屋だ」という。去年の夏は気にはなっていたのだが、天気に恵まれなかったり雑事に追われたりで、結局時期を逸してしまった。
 今年は7月の初旬にその渓流へ勇躍出かけた。そこで夕方まで絵を描いて、それから近くの街に出て老舗の日本旅館で鰻重を食べて、夕闇迫る頃に又そこへ戻った。渓流は既に夕闇の中に沈んでいて、目を凝らして見つめたが何も光っていない。慣れてきた目に暗い渓流と背後の山並がわずかに明るい空の下に沈んでいて、その中に虫の音と瀬音だけが響いていた。30分程眺めていたか?今日はダメかと思い始めた頃、河原に青い光が一つ小さく光った。暫くすると対岸の薮の中でも光り始め、それを合図にしてか、暗い渓流の河原のあちらこちらで一斉に青い光が点滅を始めた。私はその余りに幻想的で艶かしい魅力に魂を奪われて、呆然とただ眺めていた。
螢の絵はいまだに描けない。

〈螢〉

かくも暗い谷間の
なお暗きしげみの奥の
更に暗き水の底に
密やかに生きる
小さき虫

水底の小石や
泥や水草の織り成す
静寂な世界の中で
静かに生を紡ぐ

生暖かい夏の一夜に
生涯にたった一度
突如ほのかな青い火を燃やして
闇に乱舞する

悲しげに点滅して
暗い梢に舞い上がる
ほの明るく冷たく青く
自らの身体と魂を燃やして
ゆらゆらと
消えると思えばまた灯る
儚き性の悲しくも狂おしい
青き火よ

嗚呼!
艶かしくも悲しい虫よ
ほ・た・る




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No.3 タイムスリップ

 昨年の秋も深まる頃に、秋川の奥の鄙びた山村に絵を描きに出かけた。高台の畑の周囲の雑木林は紅葉して、青い空に映えて美しい。畑の脇に人気のない茅葺きの民家と家畜小屋が有る。その畑の草取りをしていたこの家の持ち主の老人が話し掛けてきた。今は八王子に住んでいて、時々畑と家の見回りに来るだけでもう長い間空家だという。
 彼の曰く先祖は甲斐の武田の家臣で、武田家滅亡の時に甲州から山伝いに逃れて数所帯でこの山中に住み着いたものだという。「だからつい親爺の時代までは長いこと肩身の狭い思いで暮らしていた。親爺はこの小さい畑を耕して、熊や猪を鉄砲で打って暮らしていたんだ。私の子供の頃は未だ道路も通って無かったから、親爺は馬を引いて山の尾根伝いに八王子まで鉄砲の弾や日用品を買出しに行っていた。一泊二日の旅だった。都会のハンターのガイドもよくしていたけど、ほんとに貧乏で貧乏でよ~!結局俺は都会に出て働いて、今は管理人暮しだ」
 そして私に家のなかを見せてくれた。薄暗い部屋のまん中に囲炉裏が有り、周囲には埃をかぶった昔ながらの臼や杵、背負い篭、熊手や鍬、鋤き等の農具や生活の道具が乱雑に散らかっている。暗がりのなかに目をこらすと開いた押し入れには布団が積まれていた。誰もが最先端の高度な電子技術に支えられた便利な文化生活を享受しているこの2005年の大都会東京の片隅に、こんな世界が未だあるのは信じ難いのだけれど現実だった。
 武田勝頼一族が追い詰められて果てたのは、1582年のことである。甲府の東側の山岳地帯に入ったところの日川渓谷近くの天目山であったという。この険しい山や渓谷を幾つも越えた東外れに秋川の檜原村が位置している。ちょうど今から420年以上も前のことだけれど、歴史は今ここに生々しく横たわっていた。
帰路、近くの食堂で猪の焼肉定食を食べた。食堂の女将が「この人が捕った猪よ」とカウンターのハンター姿の男を指差した。
「脇昌彦水彩画廊」のなかに有る「山畑の秋」はその時の作品である。




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No.2 不思議な時

 新緑の眩しい初夏になって、奥多摩にスケッチに出かけた。高水三山の麓の軍畑の渓谷を描く予定であった。
多摩川の渓谷沿いの道は浅葱色の新緑が光り、木漏れ日の中をゆっくりと走っていく。時々路側に車を寄せて後続の車をやり過ごす。途中の景色があまりに美しいので車をとめて眺める。新緑の輝く樹間から多摩川の清流が光り、対岸の山肌がブルーに沈んで強いコントラストが印象的だ。ここで描こうと思ったが、計画していた軍畑の渓谷まで行って良い場所が無かったらここに戻ろうと、また車を走らせる。
目的地はすぐに着き、暫くスケッチのポイントを探すがあまり良い場所が無い。結局先程の場所まで引き返した。この間30分程度だろうか?しかし、そこに戻って見ると、はじめの印象は薄れて魅力はすっかり無くなっている。日射しが雲に遮られた訳でも無く、殆ど変わらぬ光景であるのに、私はもうそこを描こうという気を失ってしまった。結局その日は気のないスケッチを一枚描いて帰宅する。
どうしてだろう?その時以後何度か同じような経験をした。私は考えた。風景は変わっていないけれど、私が変わってしまったのだと。その場所は今も時々通るのだけれど、何時もあの時の感動とは無縁のありふれた光景でしかない。だから私は感動した場所に巡り会うと許される限り、今すぐそこにイーゼルを立てて描くようにしている。私が変わらない内に。
風景と私も「一期一会」なのだから。

<歩く>

私は歩く
風を裂き
視界を変えて
歩いていく
ひとあし毎に
ひとあし分の
未来が過去に入れ代わる

鈴掛けの並木に風がそよぎ
花が香り 鳥がさえずり
漏れ聞こえるショパンが
ふっと途切れる
日射しの中を
ルーズソックスの眩しい
自転車が行き過ぎる

ひとあし歩くと
ひとあしぶんの
世界が変わり私も変わる
一歩毎に無限に変化する
エンドレスムービー
この一歩の変化も
嗚呼!
二度と巡ってこない
私の人生の鮮烈なモーメント

一歩一歩
未知の世界に向かって
あるく 
  あるく


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No.1 世界は例えようもなく美しい

 どうして絵を描くのかと思う。それは世界が例えようもなく美しいから。
早春の冷たく硬い枯れ枝の先から芽吹き始める優しくもデリケートな色彩、風に漂うほのかな香り、ひっそりと咲き始める小さな野の花。
初夏の暖かい日射しの中に咲き乱れる無数の輝く花達、あでやかで艶かしい新緑、野鳥はさえずりながら野に舞い、はるかな頂きの残雪は白く輝く。
夏の陽は紺色の天空に輝き、地上は沸き返るような緑にみたされて、いのちの息吹に蒸せかえっている。
秋の紅葉の静かで暖かく、心をとろけさせるような甘美な色彩。そして凍てつく冬の身の引き締まる厳しさと清清しい光景。
 こんなにも美しい四季の光景を自然の神は作り上げてくれた。その自然の美を慈しみ味わいに出かける。そしていつも「あと何度この甘美な季節を味わえるのか」と思う。そしてその風景の中に溶け込んで、絵を描く。
いつの時代にも人の世に溢れている醜い物に、拘わって悩む時間はもう私には残されていない。

<あした>   
                  
母よ 父よ 友よ
子供達よ
あしたを不安で満たしてはいけない
不況や倒産 受験や就職の失敗
病気や事故
失恋や片思いや 離別や永久の別れ
世間の中傷や誤解
飢餓や戦争
ああそんな不安は尽きることがないけれど
いくら数えても 考えても
どうしようもない運命というものがあって
訪れるものはおとずれるのです

だから
私達のあしたには
明るい希望を
いつも溢れるように満たしておこう

爽快な目覚め
香ばしい一杯のコーヒー
愛しい猫とのひととき
大好きな人の笑顔
涼しい風の中で響くバッハの管弦楽協奏曲
生涯に一度切りの
花達の美しく健気な装い
ソルダムの緑色の果実をかじると
深紅の果汁が滴り
ああ 生きている
      生きていると
震えるような朝
ささやかだけども 輝くひとときは
無数にあるのです

だから
私達のあしたには
明るい希望を
いつも溢れるように満たしておこう

明日というのだから


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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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