脇昌彦の水彩絵日記

折々に思い感じたことを記した絵日記

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No.221 僕のおじさん(3)

間口漁港
「間口漁港」 水彩 F6



 どう言う経緯だったのか 女学生だった私の姉二人が、おじさんに連れられて広島の実家に行くことになったと言う。敗戦前なのかその後の話なのか定かではない。その頃千葉から広島までは1日がかりの大旅行で、東京駅から汽車に乗ったと言う。ボックス席に座って暫くして列車が出発した。川崎を過ぎる頃におじさんは席を立った。トイレだろうと思ったけれど、1時間しても戻ってこない。心配になって、下の姉が探しに行った。乗客でほぼ一杯の10両編成だから探すのは大変だった。すると随分離れた車両でやっとおじさんを見つけた。綺麗な女性の隣でなんだか楽しそうに話をしている。おじさんは下の姉を見ると
「ここにいるから安心をせい、そのうちに戻るけえ」
と言う。知り合いなんだと思い自分の席に戻った。おじさんはそれから数時間してようやく戻って来た。姉二人がおじさんを問い詰めると
「長い旅じゃけえ退屈じゃろ。どうせなら綺麗な人と話しながらいこうと思っての。それで一人旅の女の人を探したんじゃ」
とケロリと言う。そんな女性を探して「お一人ですか?」と聞いて回ったらしい。
二人の姉は家に帰ってから
「本当に嫌になっちゃった。恥ずかしい。もうおじさんとは絶対に出かけない!」とカンカンだった。

 おじさんは東京に出てから大変な思いをして悪戦苦闘していたが、やがて風呂屋への委託販売を思いついて苦労してなんとか生活ができるようになっていった。おばさんの保険の外交も力になったのだろう。おじさんが久しぶりに我が家に泊まりがけで来ることになった。その前日の夕方おじさんから電話があった。僕が出た。
「お土産を買うていこうと思うけん、何がいいか姉さんに聞いて見てくれ」
と言う。僕はお茶の間で近所の人と話をしている母にそれを伝えた。母は田舎では手に入らない鯨のベーコンがいいと言った。電話口に戻っておじさんにそれを言うと
「それはわしが嫌いじゃけえ、他のもんはないか?」
と言う。僕はまた母にそれを伝えた。母は渋々とまた何かを別のものを選んだ。するとおじさんはまた
「それもわしが嫌いじゃ」と言う。
また母にそれをいうと
「全く何を言ってるの、いつもこれなんだから。お土産いらないと言いなさい!」
と怒りだした。そばにいた姉ちゃんが
「おじさんは大福が大好きだから、そう言えば」
と言う。
母はもう勝手にしなさいとそっぽを向いていた。また電話口に戻って大福が良いってさ、と言うと
「そうか、それじゃあ美味い大福をぎょうさん買うていくけえ、姉さんにそう伝えてくれ」
とおじさんは上機嫌で電話を切った。


 私がおじさんの仲人で結婚して所沢に住み着いた頃、おじさんの母親が亡くなった。90歳近くだったと思う。家内にそれを言うとあなたのおばあちゃんでしょ!と言う。そう言われてよく考えて見ると、そうに違いなかった。でもその時まで全く気がついていなかった。おじさんの母親は後妻で、父とおじさんは腹違いの兄弟だったのだ。でも戸籍上は私のおばあちゃんに間違いはなかった。
 すぐに父から連絡があった。上京をするからおじさんの家まで案内をしてくれと言う。免許取り立ての危なっかしい運転で父をおじさんの家まで乗せて行った。おばあちゃんの葬儀の話だった。
おじさんはおばあちゃんを自分の車で焼き場に運んで、焼いてもらって自宅に遺骨を置いていた。勿体ないから葬儀はしないと言う。
父はおじさんに言った。
「母親の葬儀をやらないバカがどこにいる!それに広島の親戚にどう言い訳をするんじゃ!みんな呼んでちゃんとやらなにゃいかん!」
「兄さん、母さんはもう死んでしもうたけえ、お金使うて葬式するのは勿体ないけエ、わしはやりとうない」
「そんなわけに行くか!本家の親族に申し訳が立たん」
おじさんが葬儀をやらないと聞いて、父が説得に来たのだった。
「坊さんに葬儀費用と戒名代、ぎょうさん取られる。それに葬儀の費用だってバカにならん」
「そうは言っても、世の中はそうゆうもんじゃ。葬儀をしなけりゃいかん!」
「兄さん、人間は生きている時が一番大事じゃ。わしはずっと母を大事にしたと。死んでしもうてからじゃあ、何もならん」
そんな議論を延々としていた。私は内心おじさんの言うことの方が正しいと思って聞いていた。
最後に父が言った。
「わしが全部取り仕切ってやるけえ〜、葬儀をするぞ!」
「兄さんが費用を出して全部やってくれるんなら、わしはそれで良いけ」
と言うことになった。
 なぜかその葬儀には私は出席をした記憶がない。お骨を広島に運んで、本家の菩提寺で盛大にやったのだと思う。
 







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No.203 寒い夏

丘陵の木槿
「丘陵の木槿」水彩F6




 8月1日から16日間も雨が続いている。7月末の猛暑が嘘のようだ。その暑い最中にスケッチの下見に出かけた。良い場所が見つかったので、順次描きに行く予定であった。しかし連日雨で一週間ダメになった。仕方なく曇天の中を近くの西久保観音堂に出かけた。畑の中に青い木槿が咲いていた。
そのあとも雨が毎日降っている。今日は10月並みの気温だという。

 科学者の大方の見解では、地球は昨年あたりから寒冷化に向かいだしたという。30年ほどでかなり寒くなりそれが200年ほど続くという。小氷河期になるらしい。
 地球の気温に最も大きな影響があるのは太陽の活動で、その強弱を示すのは黒点の数だという。活発になると数が増え弱くなると減少する。昨年の6月からその太陽の黒点が極端に減少して、ほとんでゼロになった状態が一年近く続いている。ある人はその黒点の状態を見て今年の夏は冷夏になるだろうと予測をしていた。それが的中した。

 人間の影も形もない大昔から地球の気温は大きく変動をしている。氷河期と温暖期が無数に繰り返されている。縄文時代の気温は今より3度近く高かったという。直近では1650年〜1750年ごろの江戸時代は今よりかなり寒かったらしい。冬は雪が多かったという。そういえば桜田門外の変の時も雪だった。赤穂浪士の討ち入りもそうだった。同じ頃のロンドンのテムズ川の上で大勢の市民がスケートをしている絵がある。
 寛永、享保、天明、天保時代は冷害による飢饉が頻発した。しかも宝永時代には大地震が起きて、富士山が噴火した。天保時代に浅間山も噴火した。
 太陽風がバリアーになって、強力な宇宙線が地球に降り注ぐのを防いでいる。太陽の活動が弱まると宇宙線は地球に沢山降り注ぐ。その宇宙線が地中のマグマの活動を刺激して地震や火山の噴火が多くなるという。

 歴史を振り返れば、温暖な時期は食料が豊富になり平和が続き文明が発達した。寒冷化すると食糧危機になって戦争が多くなり文明は衰退する。寒冷化の方が大変らしい。
 地球は1750年ごろから次第に温暖化して現代に至っている。そのお陰で現代文明がここまで発達したのかもしれない。これから寒冷化すれば衰退していくのだろう。

  人類が排出するする炭酸ガスによる温暖化が問題になっている。しかし自然界の火山や森林や海から発生する炭酸ガスの量は膨大で、人間が排出する炭酸ガスは取るに足らない量だという。
それに空気の組成は、
 窒素:78%  酸素:21%  アルゴン:0.95%  炭酸ガスなど:0.05%
である。
 その元々わずかな炭酸ガスがPPM単位で増加したところで何の影響もないだろう。 素直に考えれば、陽が昇ると急激に暖かくなり日が沈めば寒くなる。だから太陽の活動が最も大きな影響を与えるのは子供でもわかる。炭酸ガスによる地球の温暖化説は変だと思う。この巨大な地球に、このちっぽけな人間が大きな影響を与えられるとは思えない。
 仮に影響を与えたとしても、人間の存在も繁栄も自然の成り行きなのだ。これまで人類は自分自身をキチンとコントロールできたことがない。想像もしない便利な文明の機器を作り出したが、行きがかりでそうなったのだろう。その流れに乗って暮らしていくしか選択肢はないのかもしれない。
そして嫌だ嫌だと言いながら戦争を際限なく繰り返している。











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No.183 愛猫追想(1)

五日市深沢の民家「五日市深沢の民家」F6 水彩



 3年前に亡くなった愛猫はキクちゃんという。「田舎っぺ大将」の恋人の名を拝借した。小さい頃は啼かなかったので唖だと思っていた。ある時外の梯子の上から、地面に落ちた瞬間「ギャー」と叫んで、それ以後は良く啼くようになった。
 毛の長い赤トラで人見知りが強く臆病だった。冬になると布団に潜り込んでかならず足の間で寝る。寝苦しいが我慢して寝ていた。抱いて顔を付き合わせるのも嫌がった。目をそらせてしまう。
 勤めから帰宅すると、玄関で喜んで鳴きながら足に纏わりつく。階段を上がる時は危ない。着替え終えて抱いてやると漸くおとなしくなった。
「俺をこんなに喜んでくれるのは、この世でお前だけだ」と気づいて思わず涙したことが有る。
 可愛くて猫っかわいがりをした。私のしつけが悪くて駄目猫になったと家族に噂されていた。美人でもなく素行も難ありだけれど、可愛いものは可愛い。
 暇なときは良く家の裏の広場で二人きりで遊んだ。しゃがんで草でジャラしたり虫取りをした。弱虫なので雀や鳩は怖い。少し遊んで立ち上がって場所を変えた。あちこち移動するたびに啼きながら後を付いてくる。そんなことを繰り返していたが、ある時不思議なことに気づいた。もう止めて帰ろうと立ち上がって歩くと、後を付いてこないのだ。そっぽを向いて不機嫌な顔をしている。まさかと思いながらその後何度か気をつけていると、間違いはなかった。私の気配を感じ取っているのだ。
 もっと不思議なのは、試してやろうと帰るそぶりをしたが、それを見破って嬉しそうに付いて来たのだ。おまけにもう一つ不思議なのは、そんな振る舞いをするのは彼女と二人きりの時だけであった。周囲に人がいるのはむろん、遠くに車が走っていても駄目だった。
 だからその不思議な行動は、誰にも見せてあげられない。カメラを据えて演技しても、彼女は敏感に感じて駄目だろう。
「おまえ、そんな馬鹿なこと嘘だろう」と疑われても証明のしようがない。
これは愛猫キクちゃんと私の二人だけの秘密なのだ。

書いている内に思いが募って、胸がいっぱいになった。化けて出てこい!





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No.182 下仁田の不思議

下仁田街道晩夏「下仁田晩夏」F6 水彩


 在職中は軽井沢の先にある御代田町の子会社によく出張をした。当時は高速道路がなかったので国道254号を走って藤岡や富岡町を経由して下仁田を通り、和美峠を越えて軽井沢に抜けて行った。
 街道の途中に「大黒屋」と言うラーメン店が有り何度か立ち寄った。店内には所狭しと昭和の映画のポスターや手回し蓄音機や、金鳥蚊取り線香やスモカ歯磨粉の琺瑯製の看板が並べてある。山賊ラーメンが売り物だ。ここで初めて食用蛙の姿焼きを食べた。淡白で鶏肉のようだった。随分と昔なので記憶もあやふやだけれど、面白い店だった。
 和美峠に向かう道の両側には見上げるような奇岩が聳え、その山裾の傾斜地に昔ながらの民家があり素敵な光景だった。(今は道路は改修されてその頃の魅力はなくなっている)

 帰路は下仁田で蒟蒻と葱を買って帰った。家に帰ると早速スキ焼きにして食べた。下仁田葱は太くて煮ると柔らかくて美味い。この葱はこの地独特で、他の土地に移植しても次第に普通の葱になってしまうと言う。
また日本の蒟蒻の生産量の90%は下仁田産で、残る10%は赤城山麓だと言う。殆どが下仁田周辺で取れるそうだ。日本の山地ならば何処でも作れそうな気がするが、土地や風土のえり好みが激しいのだろうか。

 退職後も妙義山にスケッチに行くことが多いので、下仁田によく来る。高速の長野道が出来て近くなった。
街の周囲に幾つもの小山があり、どこからもよく見える。それがこの街に独特の雰囲気を作っている。調べてみると、地質学上でこの小山はクリッペと呼ばれ、下の地質と関係のない異質なものが地面の上に転がっているのだと言う。それが何処から来たものか全く判っていないらしい。雹のように空から降ったのか?
 また、山間部に風穴なるものが有る。山の麓の岩の隙間から一年中冷たい風が吹き出ている。明治時代にこれに小屋掛けをしてここで蚕種の保存をした。このお陰で何時でも蚕種の供給が出来るようになり、生産効率が大いに向上したと言う。大量の蚕種を預かり日本一の貯蔵量であったという。今は冷蔵庫に置き換わってしまったが、文化財として保存されている。この冷たい空気は山の頂上から割れ目を通って下に吹き出すのだろう。

 街道の奥の信州との境に独特の形をした荒船山がある。別名軍艦山と言う。いわゆるテーブルマウンテンだ。
昔にこの荒船山を描きに出かけた。旧道のトンネルの出口近くに唯一全貌が見える場所が有ると聞いていた。苦労して漸くその場所を探し当てたのだが、そそり立つ険しい山は逆光で真っ黒なシルエットであった。早朝でないと駄目だった。色付けは止めてP15号に木炭で描いた。

その日は街道を少し戻って、途中の静かで魅力的な旧街道をF6で描いた。下仁田街道は独特な雰囲気で、不思議なところだ。








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No.178 生物(なまもの)

公園炎暑「公園炎暑」F6 水彩


 むかし思い悩んだ頃に、何冊かの原始仏典の対訳を図書館で借りて読んだ。それが何だったかもう記憶にないが、このときの驚きは今も鮮明に記憶している。不確かな記憶を便りに書く。
 初期の仏教教団内は人種身分男女の差別が全くない。そして強制がなく真実を求めて自由に討論し合っていたという。釈迦も同じ修行者であったらしい。
 人間とは何か?それを知る為に釈迦は弟子とともに死体置き場で座禅する。昨日までいきいきと目を輝かせていた人が、あっという間に死んでしまう。死体が放置される。野犬が群がり、腐乱し、蛆が湧き、やがて乾涸び白骨になる。それを長期間座禅してじっと凝視している。その真実を追究するすざましい執念とリアリズムに驚く。
 坊さんは袈裟を着る。その袈裟とは梵語で「壊色・混濁色」を意味するカシャーヤ(Kasaya)を音訳したものだと言う。つまり死体をくるんで血と膿で赤く汚れた布のことだ。その布を集めて、洗って継ぎ接ぎして作ったのが袈裟である。
 平安時代の何と言う絵巻だったか記憶していないが、死んだ美しい姫君の変わり果てて白骨になるまでの姿を克明に描いたものが有った。この絵師はこの仏典を読んでいたのかもしれない。

また人のことをこういっている。
「のべつに水を飲み、食べている。そして年中汗を流しよだれを垂らし、小便をし、糞をする」
又こうも言う。
「人は燃える炎のようなものだ。風でゆらゆらと動き捕まえどころがなく、不確かだ。薪をくべると燃え上がり除けばすぐに消える。しかし触ると火傷をする。有るようで無い。無いようで有る不確かなもの」
それが人間の命だという。
 
 詳細は皆忘れて正確ではないけれど、おおよそそんなことが原始仏典には判り易く書かれていた。これに私は真実感銘した。カビ臭い訳の判らないお経の中に、こんなことが書かれているとは!! 
2.500年も前にはかない人の生の存在をじっと見つめ、真実を追究している人達がいたのだ。

 人は生物である。「なまもの」なのだ。蓄えられない。年齢にふさわしい喜怒哀楽も貯めておけない。冨を蓄えるまで我慢して、それからじっくり味わおうとしても、その時には皆変わり果てて腐っている。しかも度が過ぎた冨の蓄積は周囲から恨まれ、妬まれる。周囲の人を不幸にして犯罪的だ。
 バス一台に乗った世界の超富豪の所有する冨が、世界の富の50%を占めるという。これが真実ならば狂っているとしか言いようがない。

お金にも有効期限を付けて腐ってしまうようにすれば良い。お金も人と同じ「なまもの」にしてしまおう。







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プロフィール

脇 昌彦

Author:脇 昌彦
水彩画廊 suisaiga.jpを是非御覧ください。



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